十津川水系川迫川モジキ谷遡行(初日前編)
十津川水系川迫川モジキ谷遡行(初日後編)
十津川水系川迫川モジキ谷遡行(二日目)
稲村ヶ岳
山上ヶ岳
ルート:モジキ谷取水口 - モジキ谷 - 稲村ヶ岳尾根 - 稲村ヶ岳 - 大日山 - 稲村小屋 - 山上ヶ岳 - 大峯山寺 - 宿坊 - 大峰奥駆道 - 吉野
コースタイム:?(休憩時間を含む)
稲村ヶ岳:1726.1m
大日山:1689m
山上ヶ岳:1719.3m
小天井ヶ岳:1211m
大天井ヶ岳:1438.9m
四寸岩山:1235.8m
青根ヶ岳:858.0m
日程2012/07/14-2012/07/15(一泊二日)
距離:?km
累積標高:?m
天候:晴れのち曇り
気温:?
湿度:?
目的:朱印
単独行
山上ヶ岳のお花畑で目を愉しませ、大峯山寺で朱印を頂いた。
納経するコトも今回の目的の一つであったからだ。
本堂の側に焼印処があるのが気になるが、誰もいないようだった。もちろん、杖を持ってきてなどいないから、何の遣り様も無いわけだが。
吉野へ下る路を探す。境内の外れに、柏木を指す標識を見つけたが、そこには吉野方面は示されていなかった。
宿坊前まで行き、山と高原地図ではその先に路は無いように記されているよなと本堂まで戻り、お花畑に戻ってはこちらも違うよなと思い直した。
地図も案内板も全くアテにならないのなら、宿坊で聞いてみようと、連なるそれらのひとつに入る。そして缶ビール(350ml ¥500)を買い求め、酒での与太話な態を装って吉野への路を訪ねた。
「そこから、あっちへ行けばいいですよ」的なものを期待していたのだが、予想外に話好きだったお坊さんは、簡易な地図まで用意して、その先々まで事細かに説明しだした。
「本来なら」
彼はそう前置き、言葉を繋いだ。
「途中の小屋で泊まっていきなさいと言うところなのだけれど」
和かに続ける。
「モジキ谷を登ってきてこの時間にここに着いているんだったら、大丈夫でしょう」
先達より、お墨付を頂いた。
もちろんボクは、日が暮れる前に着くことを疑ってさえもいなかった。
行場案内図を折畳み、微に細にいった説明にも御礼を述べて、宿坊を後にする。
あれだけ丁寧な説明を受けながらも、行ってはいけないと言われたルートにいつの間にか入り込み、そこを、知らぬ間に通り過ぎていた。それは、洞川への分岐にて「通行止案内」の看板を見つけ、言われたのはこのことだったかなと確認した時に初めて、気づいたことだった。
大天井ヶ岳を迂回する在来道が通行禁止とある。(現在はトラロープが張られ、細い踏み跡が付いており通行できます。復旧はされていないので、あくまでも自己責任で)
それもまた、宿坊で説明を受けたままのことだった。五番関の行場で修験者の一団を追越し、吹き鳴らされる法螺の音を聞きながら、大天井ヶ岳へと登っていった。
突如、登山道の脇が削ぎ落とされた様になくなっていた。恐る恐る近付き、覗き込む。そこに在来道が伸びていたのだろうけれど、崩落した土砂は辺り一面を埋め尽くし、何処が嘗ての路であったのかは定かでない。
その崖を這い上がり吹き抜けていく風の心地好さに、しばし休息を摂ることにした。
すると忘れかけていた空腹が頭をもたげ、重たげな腰は、ボクをそこに引き止めようとした。
ストーブを取出し、遅めの昼食にする。少し冷え過ぎた躰にラーメンの温かさが沁みていった。追越していく登山者に挨拶を投げかけ、ゆっくりと後片付けを済ませた。最早、日没迄に吉野に着くのは間違いなかった。
奥千本を越えて舗装路に出る頃になって、両足裏の指の付根辺りに激しい痛みを感じた。あと少しで駅だからと歩き続けるが、我慢できないくらい酷くなる。
道端の岩に腰を下ろし、ネオパスタノーゲンを擦り込もうと靴下を脱いだ。足裏を覗き込む。そこには500円玉よりも大きい肉刺があった。足を乾かさずに歩き続けた結果がこれだ。改めてブヨ達を恨めしく思い、その水膨れへとカッターを入れた。そして体液を絞り出し、絆創膏を貼る。それから靴を履き、足踏みする。そこから痛みは、何事も無かったかのように去っていた。
近鉄吉野の改札を潜る。
この時になって、辺りは薄らとボヤけるように、少しずつ、その彩度を下げていった。
遭遇:修験者
呑み:宿坊 - チンタ - モンク
十津川水系川迫川モジキ谷遡行(初日後編)
十津川水系川迫川モジキ谷遡行(二日目)
稲村ヶ岳
山上ヶ岳
ルート:モジキ谷取水口 - モジキ谷 - 稲村ヶ岳尾根 - 稲村ヶ岳 - 大日山 - 稲村小屋 - 山上ヶ岳 - 大峯山寺 - 宿坊 - 大峰奥駆道 - 吉野
コースタイム:?(休憩時間を含む)
稲村ヶ岳:1726.1m
大日山:1689m
山上ヶ岳:1719.3m
小天井ヶ岳:1211m
大天井ヶ岳:1438.9m
四寸岩山:1235.8m
青根ヶ岳:858.0m
日程2012/07/14-2012/07/15(一泊二日)
距離:?km
累積標高:?m
天候:晴れのち曇り
気温:?
湿度:?
目的:朱印
単独行
山上ヶ岳のお花畑で目を愉しませ、大峯山寺で朱印を頂いた。
納経するコトも今回の目的の一つであったからだ。
本堂の側に焼印処があるのが気になるが、誰もいないようだった。もちろん、杖を持ってきてなどいないから、何の遣り様も無いわけだが。
吉野へ下る路を探す。境内の外れに、柏木を指す標識を見つけたが、そこには吉野方面は示されていなかった。
宿坊前まで行き、山と高原地図ではその先に路は無いように記されているよなと本堂まで戻り、お花畑に戻ってはこちらも違うよなと思い直した。
地図も案内板も全くアテにならないのなら、宿坊で聞いてみようと、連なるそれらのひとつに入る。そして缶ビール(350ml ¥500)を買い求め、酒での与太話な態を装って吉野への路を訪ねた。
「そこから、あっちへ行けばいいですよ」的なものを期待していたのだが、予想外に話好きだったお坊さんは、簡易な地図まで用意して、その先々まで事細かに説明しだした。
「本来なら」
彼はそう前置き、言葉を繋いだ。
「途中の小屋で泊まっていきなさいと言うところなのだけれど」
和かに続ける。
「モジキ谷を登ってきてこの時間にここに着いているんだったら、大丈夫でしょう」
先達より、お墨付を頂いた。
もちろんボクは、日が暮れる前に着くことを疑ってさえもいなかった。
行場案内図を折畳み、微に細にいった説明にも御礼を述べて、宿坊を後にする。
あれだけ丁寧な説明を受けながらも、行ってはいけないと言われたルートにいつの間にか入り込み、そこを、知らぬ間に通り過ぎていた。それは、洞川への分岐にて「通行止案内」の看板を見つけ、言われたのはこのことだったかなと確認した時に初めて、気づいたことだった。
大天井ヶ岳を迂回する在来道が通行禁止とある。(現在はトラロープが張られ、細い踏み跡が付いており通行できます。復旧はされていないので、あくまでも自己責任で)
それもまた、宿坊で説明を受けたままのことだった。五番関の行場で修験者の一団を追越し、吹き鳴らされる法螺の音を聞きながら、大天井ヶ岳へと登っていった。
突如、登山道の脇が削ぎ落とされた様になくなっていた。恐る恐る近付き、覗き込む。そこに在来道が伸びていたのだろうけれど、崩落した土砂は辺り一面を埋め尽くし、何処が嘗ての路であったのかは定かでない。
その崖を這い上がり吹き抜けていく風の心地好さに、しばし休息を摂ることにした。
すると忘れかけていた空腹が頭をもたげ、重たげな腰は、ボクをそこに引き止めようとした。
ストーブを取出し、遅めの昼食にする。少し冷え過ぎた躰にラーメンの温かさが沁みていった。追越していく登山者に挨拶を投げかけ、ゆっくりと後片付けを済ませた。最早、日没迄に吉野に着くのは間違いなかった。
奥千本を越えて舗装路に出る頃になって、両足裏の指の付根辺りに激しい痛みを感じた。あと少しで駅だからと歩き続けるが、我慢できないくらい酷くなる。
道端の岩に腰を下ろし、ネオパスタノーゲンを擦り込もうと靴下を脱いだ。足裏を覗き込む。そこには500円玉よりも大きい肉刺があった。足を乾かさずに歩き続けた結果がこれだ。改めてブヨ達を恨めしく思い、その水膨れへとカッターを入れた。そして体液を絞り出し、絆創膏を貼る。それから靴を履き、足踏みする。そこから痛みは、何事も無かったかのように去っていた。
近鉄吉野の改札を潜る。
この時になって、辺りは薄らとボヤけるように、少しずつ、その彩度を下げていった。
遭遇:修験者
呑み:宿坊 - チンタ - モンク
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