スキップしてメイン コンテンツに移動

YTK 大峯遅駆道100kmハイク參日目

YTK 大峯遅駆道100kmハイク壹日目
YTK 大峯遅駆道100kmハイク貳日目
YTK 大峯遅駆道100kmハイク參日目
YTK 大峯遅駆道100kmハイク肆日目

ルート:楊枝宿 - 釈迦ヶ岳 - 太古の辻 - 天狗山 - 地蔵岳 - 証誠無漏岳 - 持経宿 - 倶利伽羅岳 - 笠捨山 - 槍ヶ岳 - 香精山 - 玉置神社 - 玉置神社裏駐車場
日程:20130503-06(三泊四日)
コースタイム:15h00min(三日目、休憩時間を含む)
釈迦ヶ岳:1,799.6m
天狗山:1,537.1m
地蔵岳:1,464m
証誠無漏岳:1,301m
倶利伽羅岳:1,252m
笠捨山:1,352.7m
槍ヶ岳:1,250m
香精山:1,121.9m
玉置山:1,076.8m

距離:38.633km
累積標高:3,423m
天候:晴れ
気温:?
湿度:?
目的:100kmハイク
単独行

まだ夜も明けきらぬ早朝。暗闇の中に蠢くものの気配で目を覚ます。その音につられるように多くの人が動き出し朝食の用意を始めた。時計を見るとまだ3時半くらいだ。薄明が始まるまでにまだ一時間近くある。
昨日怠けた分もきっちりと取り戻さなければならないのだが、昨夜の件もあることだし暗闇をヘッデン頼りで歩く気などさらさらなかった。もう一度眠りに着き外が薄明るくなった頃には小屋の中にはボクを含めて2,3人しか残っていなかった。
湯を沸かし素ラーメンを啜る。手早く荷物をまとめ、土間の隅に置かれた箒で掃除をした。
外は夜明け。薄墨を流した空が澄んだ青に抜けていく。奥駈道は小屋を出てすぐに尾根筋を辿り、急激に高度を上げていった。


昨夜、一体どこを歩き彷徨っていたのだろう。小屋の外周をぐるりと回っているはずだから、この尾根を伝う奥駈道を横切っているはずだった。
しかしこんな急峻な尾根をトラバースした覚えはない。朝日に照らされた光景の何処にも昨夜の名残りは見出せなかった。
それはまるですべてが夢の中であったかのような、何者かに記憶を改竄されたかのような違和感だった。

ヘッデンに照らされぼうっと浮かび上がる笹原の中の一本道。限りなく彩りを失った灰色の世界。そこではどちらを選ぼうとも決して避難小屋へは辿り着けなかった。生と死の狭間。まるで三途の川を渡るかのように緩い姫笹の流れを渡り歩いた。
そして対岸に流れ着き、一つの案内板により世界は色を取り戻した。それは木々に貼られた赤テープであり、忘れていた新緑の青さであった。平坦な景色が現実味を取り戻した。そうしてボクは小屋に辿りつくことが出来たのだった。

あの夜空にそびえる山々の黒さを、足元に広がる姫笹の白さを、夜中に沢へ下ることの浅はかさを、擦りむきシュラフの中でべとつく脚の気持ち悪さを、死とは些細なことで訪れるのだということを、その愚かな一夜を、ボクは決して忘れないだろう。


明るく心地よい仏性ヶ岳を越え、孔雀覗きを覗き高度感にくらくらしながらも空鉢岳で不動明王に手を合わせた。

そうして訪れた釈迦ヶ岳。ああ、ボクはここに来るために奥駈ていたんだなって思うくらい青空を光背としてすっくと立つ釈迦如来のお姿は例えようもないほど神々しかった。
奥駈最大のイベントをこなし、後は惰性の消化試合って感じになってしまったが、ここまで来てまだ奥駈全行程の半分もこなせていなかった。


前回たまらずDNFした太古の辻を楽々越えた。ゆるゆると果てしなく続く爽快なトレイル。吹雪の中と晴天の下でこれだけ違うのかと唸るほどその路は素晴らしかった。10kgを優に越える荷を背負っては走ることは叶わないが、空身ならどこまででも駆け抜けて行けそうな快適な路だった。

阿須迦利岳からの急坂を足早に下る。途中で柴を刈る人と出会い挨拶を投げ掛け、しばし足を止めた。
この坂の袂には一件の避難小屋が建つ。多分そこの人だろうなあと思いながら言葉を交わす。
何処から来たのかの問いに吉野からと答え、今日は行仙宿に泊まるのかに、いえ玉置神社まで行きますと返した。ほう、そりゃあ頑張って、との応援を受け先を急ぐ。
何もハッタリをかますつもりはないが、言葉にすることによりより一層覚悟が決まる。
何より今の気力に今の体力なら全然楽勝だと思えた。


「ミカン食べて行きませんか」
小屋の前で声を掛けられた。
いつもなら自分のペースを守り、淡々と休まずに進むボクなのだが、ここで足を止めたのは単独行ゆえの人寂しさからだろうか。そう言えば吉野を発って丸二日、挨拶以外の言葉をろくに発していなかった。

ふたつに割られたそれはみかんではなく甘夏だった。でもそんなことは問題じゃない。その甘さが、酸味が、瑞々しさが、早くも飽きだしているラーメンの味や、辟易する行動食に味気なさを洗い流していった。

「コーヒーも淹れるからな」
小屋の中からも誘われた。
「ここまで何人くらい追い抜いてきた」
「5,6人くらいですかね」
「それじゃあ、その分も淹れておこう」と小屋へ戻る背に
「まだまだ来ないと思いますよ」と声をかける。

結局のところ、あまり豆がないというのでインスタントを頂く。いつもならブラックだが、砂糖にミルクも入れ、カロリーたっぷりにする。

「トレランですか」甘夏をくれたコが尋ねる。
「荷物があるんで速めのハイキングですね」と答える。

彼女たちは東京から奥駈を2泊3日で走りに来たのだそうだ。
どおりで八経ヶ岳を登る途中で「大会でもやってるんか」なんて聞かれたわけだ。駆け抜ける数人とすれ違い、遅れてきたボクを見たら脱落したコなんだろうなって思われても不思議ではない。
そして途中転んで膝を痛めた彼女ひとり、この持経宿に泊り、今日本宮にゴールするメンバーと合流すべく車で送ってもらうのだと言った。

「途中、山伏に会いましたか」
「いや、ひとり、ふたりくらいかな」
山上ヶ岳辺りではすっかり夕方になっていたので、修験の人たちは宿坊に納まっていたのだろう。昼間なら「ようおまいり」地獄に突入するところだがその言葉をほとんど発していなかった。
彼女ら女子たちは山上ヶ岳に登れないので、男子たちと別れ面白くもない長い車道を走ってきたのだと残念そうに語る。

そうしてトレラン話はUTMF、TJARから始りキャノンボールにも及んだ。
「前回、出たんですよ」嬉しそうに話す「アンちゃん」はダイトレすら知らなかった。
「あんなに安いエントリーフィーで、あれだけエイドが充実しているなんて感動しました」公式エイドはアキタさんとこしかないので他はすべてボランティアである。それでも回を重ねるごとにその数は増え、豪華になり、痒いところに手が届くようになっていった。
「レースはしんどいけどキャノンボールだけは楽しいねん。他のは周りがみんな敵やけど、キャノンボールだけはみんな仲間やからな」ってシンちゃんの言葉通りに、いつの間にか誰からも愛されるレースに育っていた。

「そろそろ行きますわ」と断りを入れる。
「長い事引き止めてしまって」と詫言を返された。
「いえいえこの二日"こんにちは"しか口にしていなかったので、久しぶりにこうして人と会話が出来て嬉しかったです」と素直な気持ちを吐いた。
「お気を付けて」と見送られ、前回いつまで上りが続くねんと笠を投げ出したくなった笠捨山へ差し掛かったのだった。


多少痛みの残る右膝はほんの2~30分の休憩ですっかり良くなり、むしろ休んだ方が早く玉置神社に着けそうだというくらいペースも調子も気分も上がっていた。
しかし笠捨山の中腹くらいに差し掛かった時、両膝のすぐ上に鈍く重たい違和感を感じ始めていた。それはゆっくりと拡がり急速に痛みを増して行った。
平坦な路では全く問題ない。だが少しでも傾斜があり踏ん張らなければならないと針を突き立てる様な痛みが走った。筋肉痛だった。
たとえ100km山を越えたとしてもピクリとも残らないのに、それは奥駆三日間にしてのまさかの痛みだった。
たいした距離でもないしとネオパスタノーゲンも持たずに着た事を激しく後悔していた。今あるのは痛み止めのロキソニン2錠と、攣った時用の芍薬甘草湯と腹薬の陀羅尼助が各一包に過ぎなかった。
ロキソニンも疲労による関節痛には劇的に効果があるのだが筋肉痛にはほとんど効かないようで、貝吹金剛を下りる頃にはその脚を斬り落としたい程にまで痛みを増していたのだった。


それでもここから先は消化試合。ダラダラとひたすら長く単調な路が玉置さんまで続いていたはずだ、と一年前の記憶に頼る。
しかしそこはボクが記憶していたほどには平坦ではなく、対して長くもない上りに苦しめられ、ロープを張って置いてくれよと思わせる位には急な下りに徐々に痛めつけられていった。

玉置山に差し掛かるころには既に黄昏時であった。薄暗い山路は危ないよなって、うそぶきながら林道京野谷線を歩いた。もちろん傾斜が緩く脚に優しい車道を歩きたかっただけだ。
それから日が暮れきる前にキャンプ地を探さなければならないってのももちろんあった。玉置山山頂辺りしかツェルトを張れそうにない奥駈道を辿るよりも、車通りのない脇道や広く張り出した路肩の方がある分、車道の方がキャンプ適地を見つけられそうだったってのは後付けの言訳かもしれない。

最初に目星をつけたのは展望台。地図にはトイレも書かれている。ただ水があるかどうかが、それこそそこを幕営地と出来るかどうかの一番の問題点だった。
そもそも痛む脚を押してまで玉置さんまで来たのは水を汲むため。現時点、水筒には残り100mlもない。水を汲むまでは晩飯にすらあり付けない。
南奥駈道は水場が乏しいのは知っていた。そこに点在するわずかな水場は20分も掛けて沢へ下らなければならない。それこそ今のボクなら倍の40分は掛かるだろう。そんな寄道をする余裕など到底なかった。寄道をしてヘタに距離を延ばすよりは、身軽な内に出来るだけ距離を稼ぎたかった。


間もなく向いの山へ、日が沈む。
その時を展望台で迎えられたらと思い急ぎもしたが、無情にもその山陰ヘ暮れるより先に、低く棚引く夕暮れ雲へとその夕日は消えていった。

果たして訪れた展望台は東屋もあり、紙も備わったトイレもあり、もちろん眺望もありで幕営地として申分なかったわけだが、水だけがなかった。
いやあるにはあったが、トイレの屋根より引き入れた雨水を貯めただけの簡易水道が。もちろん今この状況が生死に係わるほどの極限状態であったならそれをためらわず飲もう。でも今はそこまでではない。あと数km歩めば水など何ℓでも汲める。それをボクは知っていた。それなのにそんな水は飲めない。調理にも使えない。ここは諦める他なかった。

次の候補地は玉置神社駐車場だった。ここにもトイレがあったはず。当初の予定では、そこにある茶屋にて飯なぞ食べながら麦酒の一杯でも傾けようと思っていた。だが、無論こんな時間には開いてなかった。
そろそろマジックアワーも終わる頃。夜の帳を下ろした淡墨の空のもと、駐車場の片隅には自立型テントが六帳、あたかもその全てがひとつのパーティーのものであるかのように寄り添い建ち並んでいた。

その傍らにあった自販機に、やおら百円玉一枚と十円玉二枚を突っ込む。少し迷いネクターのボタンを押す。ガタンと大きな音が響き渡った。そしてその音に呼応するようにひとつのテントに明かりが灯る。驚かせてしまって申し訳なく思いながら、乾いた胃袋と心を潤すように一気に飲み干し足早にその場を立ち去った。

それから境内に入り水を汲んだ。それこそ結局のところ当初予定していた通りの玉置神社での補給だった。参拝時間を過ぎていても善意の御神酒は並んでる。それでもそれをこの場で頂くのはなんとなくマナー違反な感じがして、その垂れ流すだけの水を頂くだけでも十分過ぎるほどな施しな気がして、それには手を付けずに「ああここは泊まりやすそうだな」って前回思った裏参道の駐車場を目指し再び坂を下っていった。


そもそも幕営したい場所ってのは人間である限り、ホボホボ同じ場所を選ぶと思う。ボクもその一般的な人間であるように、同じようなことを考える人間はそれこそ多いようで、そこにも既に五帳ほど先客のものが建ち並べてあった。ここもまた眠りについている人も多かろうと驚かさないように辺りを探る。
しかし良さそうな立木は見つからない。しゃあなしに林道の奥に幕営地を求める。しかしそこは車により固く踏みしめられた森林組合の管理通路のようだった。
片側は立木に繋ぐとして反対側はどうすればいいのか。参道入口に立てかけられた杖を拝借し、ガイドを伸ばす。問題は地面の固さだ。それこそカーボンコアステイクは辛うじて効くものの一本しか持ってきていない。プラペグは先端すら刺さらなかった。ペグを打つのにも苦労するほど脆い岩しかない山域には、ガイドをしっかりと張り延ばせるほど大きな岩は容易には見つからなかった。ようやく拳二つ分くらいの岩をふたつ見つけ、重ねて張綱を巻いた。


最後の晩餐はレトルトの釜めしにワラビラーメン。シェラカップにはレトルトの釜めしを全て浸けるほどの大きさはない。そこで四隅を各々突っ込みながら温めた。同時に残っていたワラビも入れて。
本宮まであと15,6km。水をたっぷり持っていく必要はないので贅沢に2回茹でこぼす。これで少しはえぐ味の少ないラーメンになった。
酒は結局一合にも足りないくらいしか残っていなかった。これは持っていく酒の量を増やすよりアルコール度数を上げるべきかもしれない。スピリタスなら350mlも持っていけば十分だろう。いざという時には燃料にもなる。問題は美味しくないってことだが。


---------- 反省会 ----------
ストックを持つスタイルはカッコ悪いし邪魔なので嫌いだが、長距離縦走には必要かも?ツェルトも張りやすいし。
ネオパスタノーゲンやタイガーバーム系は必要だ。虫除けとしても使えるし。
酔いつぶれるまで呑んでしまうので、結局少しくらい量を増やして無駄なような気がする。度数の高い酒、ロンリコ151やスピリタス辺りにしようか?


遭遇:アンちゃん

呑み:幕営地

コメント

このブログの人気の投稿

南北ドントリッジ下見

日程:2014/10/08(日帰り) ルート:長峰霊園 - 摩耶東谷 - 山寺尾根 - 掬星台 - 桜谷道 - 徳川道 - 北ドントリッジ - 分水嶺越林道 - 布引道 - 新神戸駅 コースタイム:04h 04min(休憩時間を含む) 距離:13.179km 累積標高:1,054m 天候:晴れ 気温:? 湿度:? 目的:例会山行下見 単独行 例会山行のリーダに指名されたからにはヤラざるを得ない。もちろんやること自体は、ヤブサカデハナイ。 「山羊戸渡」を要望されていたのだが、なんかみんなに過大評価している感、満載なルートなだけに気持ちがどうにもこうにも盛上らない。 って云うか、かつてそんな多大なる期待を受けて連れて行ったのに、その数多過ぎる所期を満たすことなんてとても出来やしなくて、ガッカリルートに認定されたことからも気持ちが萎えてしまう。 結局、余り足を踏み入れないコースを案内しますよ、なんて言葉を濁す。とどのつまり「山羊戸渡」までのアプローチの長さ故にダレタ気持ちを、その先から続くひたすらシンドイだけのアルバイトに過ぎない行程を満足させられるだけの力量を持ち合わせていないってコトだけのことだ。 で、選んだのは、摩耶東谷から南北ドントリッジへと続くルート。 ボクは通常、摩耶東谷を辿る時は、日本三大廃墟として名高い「マヤカン」へと詰めるのだが、一応、立入禁止となっている個人所有の敷地へと不法侵入すべく皆を連れて行くわけにも行かず、かと云って摩耶東谷を通しても、最終的にシンドイだけの藪漕ぎになるので、少しはマシだろうと山寺尾根へ抜けるルートを選択した。 通常、ボクひとりで上るのなら、摩耶東谷を谷通しで行くのだが、同行者が居るとなるとそうも行かない。摩耶東谷より入渓し、堰堤を捲いたところで山寺尾根との分岐へと戻った。そこで堰堤工事を知る。この路へは立入禁止だと知った。 山寺尾根をそのまま辿り、途中の広場から摩耶東谷へ下りる路を調べた。だがそこも、人を連れて行くにはどうかなって、路だった。 だからボクは、谷通しで良いかなって思った。 谷を歩く内は涼しくて良かった。だが、一度沢を外れ尾根を伝うと、その急勾配ゆえに、晩秋とは云え、まだまだ激しく照りつける日差しゆえに、段々と消耗していった。 今日はとても暑い日で、リュックの重

紀ノ川水系下多古川 本谷遡行 一日目 2020年6月6日

六月も初めだというのに全国各地で真夏日をたたき出す猛暑が続くなか、これはもう沢だな、と沢装備を整え出社する。 沢足袋のフェルトを張替えていなかったなと、石井スポーツで草鞋を買って大峰を目指した。 「関西起点 沢登りルート100」が見当たらないのでネットで適当に遡行図を探すが途中までのものしか見つからない。 初心者向けの容易な沢で登山道も沢筋に付いているみたいなことが書かれているから、オンサイトで大丈夫だろうとろくに情報も集めずに旅だった。 これがまたえらい苦労する羽目になろうなどとは何も知らずに。 沢沿いに今なお残る集落を抜け川をまたぐと一軒の建物が目についた。 確か川を渡ってすぐぐらいのところが取付きだったよな、うろ覚えの遡行図を思いだし、簡易浄水場の横から続く踏み跡をなぞって入渓した。 朽ち果てた取水口を越えるとすぐ、滝に出会った。 沢足袋に履き替え、草鞋を結ぶ。妙に鼻緒が短くて履きにくい。 念のためi-padで遡行図を確認する。6mの斜瀑(F1)とある。確かに6mくらいの高さだが、斜瀑というかふつうに滝だ。 直登できなくはないが、シャワークライムを強いられる。 思ったよりも気温が低いし日差しもない。入渓したばかりで体も温まっていないのに滝に打たれるのはいややなと、右岸の草付きを捲く。これが見た目以上に悪い。岩の上にうっすらと土がのり、頼りなげに草が生えている程度だった。 手掛かりになる樹根はおろか、幼木ですらほとんど手の届く範囲にはない。 それでも登れそうなポイントを探し、左へ左へとトラバースしていく。しかし、楽に登れそうなところは見つからず、心が折れた。 しかたがない。直登しようと緩んだ草鞋を結びなおした。 途端に鼻緒が切れた。ブチッとした手触りと共に、ボクの張りつめた気持ちも切れた瞬間だった。 取水口より手前まで戻り、今度は左岸を高捲く。獣道やもしれぬかすかな踏み跡をみつけ、たどる。 F1を越えて再び沢へ下りたいのだが、どれだけ探しても下りられそうなルートがない。捨て縄でも張れば別だが、戻ってこないので回収もできない。 下りられないのなら上を目指すしかない。どこかに登山道がついているかもしれないし、いっそ

武庫川水系西ノ谷遡行

武庫川水系西ノ谷遡行 武庫川水系太多田川赤子谷左俣 日程:2014/07/02-03(一泊二日) ルート:親水広場1613 - 入渓1628 - 霞滝1635 - 桜滝1648 - 満月滝1716 - 尾根1741 - 大峰山1834 コースタイム:2h 21min(休憩時間を含む) 距離:? 累積標高:? 天候:晴れ 気温:? 湿度:? 目的:沢登り 単独行 表六甲の沢の汚さに嫌気が差し、武庫川渓谷なら少しはマシだろうと西の谷を目指した。ついでに裏六甲の沢を幾つか絡めるつもりだ。 家の用事を何かしら片付けていると、なんだかんだでいい時間になってしまっていた。 宝塚でJR(宝塚-武田尾¥200)に乗換え、武田尾の駅より廃線跡を辿る。 放置され風化するに任されたトンネルを二つ抜け、親水広場から櫻の園へと入る。その入口を流れる沢が西の谷だ。 先ずは「もみじの道」を辿り、すぐに出会す堰堤を越えてから入渓する。そこですぐさま身支度を整える。沢足袋に履き替え、ラッシュガードを着る。電子機器はジップロックなり、サラスパの袋なり、LOKSAKなりで包み、ORのドライコンプサミットサックなり、EXPEDなりに突っ込んで完全防水にした。 最初の釜に入り腰まで浸かった。身体に籠った熱が嘘みたいに引いていく。暑さに負けてビールや酎ハイ片手に歩いた街中の暑さが、幻だったかの様に思えてくる。 幾つかの小滝を越え、10m程度の滝(霞滝)に出会った。越えられそうな気もするが、メットをも忘れてしまった単独行なので自重する。そして、定石っぽい右岸のルンゼから上った。そこに掛けられた残置ロープを頼るまでもないが、あったらあったでそれは楽だった。 再び緩い斜瀑を幾つか越えていく。そして幾段かの滝で構成された大滝と出会った。下から見上げても、どこが滝口か定かではない。それほどの連なりだった。 しかしその一段目に取付くには茶色く泡立った釜に浸かるか、無理矢理ヘツッて滝に寄るかしかなかった。もちろんその濁りに浸かりたくも無かったし、スタンスやホールドは随所に見られはするが、万が一落ちてしまった時のことを考えるとヘツるのも二の足を踏む。 結局、またまた右岸より草付きを登り、一段目を越えた辺りでトラバースし、上へと続く残置ロープを跨いで、滝へと戻った。