YTK 大峯遅駆道100kmハイク壹日目
YTK 大峯遅駆道100kmハイク貳日目
YTK 大峯遅駆道100kmハイク參日目
YTK 大峯遅駆道100kmハイク肆日目
ルート:楊枝宿 - 釈迦ヶ岳 - 太古の辻 - 天狗山 - 地蔵岳 - 証誠無漏岳 - 持経宿 - 倶利伽羅岳 - 笠捨山 - 槍ヶ岳 - 香精山 - 玉置神社 - 玉置神社裏駐車場
日程:20130503-06(三泊四日)
コースタイム:15h00min(三日目、休憩時間を含む)
釈迦ヶ岳:1,799.6m
天狗山:1,537.1m
地蔵岳:1,464m
証誠無漏岳:1,301m
倶利伽羅岳:1,252m
笠捨山:1,352.7m
槍ヶ岳:1,250m
香精山:1,121.9m
玉置山:1,076.8m
距離:38.633km
累積標高:3,423m
天候:晴れ
気温:?
湿度:?
目的:100kmハイク
単独行
まだ夜も明けきらぬ早朝。暗闇の中に蠢くものの気配で目を覚ます。その音につられるように多くの人が動き出し朝食の用意を始めた。時計を見るとまだ3時半くらいだ。薄明が始まるまでにまだ一時間近くある。
昨日怠けた分もきっちりと取り戻さなければならないのだが、昨夜の件もあることだし暗闇をヘッデン頼りで歩く気などさらさらなかった。もう一度眠りに着き外が薄明るくなった頃には小屋の中にはボクを含めて2,3人しか残っていなかった。
湯を沸かし素ラーメンを啜る。手早く荷物をまとめ、土間の隅に置かれた箒で掃除をした。
外は夜明け。薄墨を流した空が澄んだ青に抜けていく。奥駈道は小屋を出てすぐに尾根筋を辿り、急激に高度を上げていった。
昨夜、一体どこを歩き彷徨っていたのだろう。小屋の外周をぐるりと回っているはずだから、この尾根を伝う奥駈道を横切っているはずだった。
しかしこんな急峻な尾根をトラバースした覚えはない。朝日に照らされた光景の何処にも昨夜の名残りは見出せなかった。
それはまるですべてが夢の中であったかのような、何者かに記憶を改竄されたかのような違和感だった。
ヘッデンに照らされぼうっと浮かび上がる笹原の中の一本道。限りなく彩りを失った灰色の世界。そこではどちらを選ぼうとも決して避難小屋へは辿り着けなかった。生と死の狭間。まるで三途の川を渡るかのように緩い姫笹の流れを渡り歩いた。
そして対岸に流れ着き、一つの案内板により世界は色を取り戻した。それは木々に貼られた赤テープであり、忘れていた新緑の青さであった。平坦な景色が現実味を取り戻した。そうしてボクは小屋に辿りつくことが出来たのだった。
あの夜空にそびえる山々の黒さを、足元に広がる姫笹の白さを、夜中に沢へ下ることの浅はかさを、擦りむきシュラフの中でべとつく脚の気持ち悪さを、死とは些細なことで訪れるのだということを、その愚かな一夜を、ボクは決して忘れないだろう。
明るく心地よい仏性ヶ岳を越え、孔雀覗きを覗き高度感にくらくらしながらも空鉢岳で不動明王に手を合わせた。
そうして訪れた釈迦ヶ岳。ああ、ボクはここに来るために奥駈ていたんだなって思うくらい青空を光背としてすっくと立つ釈迦如来のお姿は例えようもないほど神々しかった。
奥駈最大のイベントをこなし、後は惰性の消化試合って感じになってしまったが、ここまで来てまだ奥駈全行程の半分もこなせていなかった。
前回たまらずDNFした太古の辻を楽々越えた。ゆるゆると果てしなく続く爽快なトレイル。吹雪の中と晴天の下でこれだけ違うのかと唸るほどその路は素晴らしかった。10kgを優に越える荷を背負っては走ることは叶わないが、空身ならどこまででも駆け抜けて行けそうな快適な路だった。
阿須迦利岳からの急坂を足早に下る。途中で柴を刈る人と出会い挨拶を投げ掛け、しばし足を止めた。
この坂の袂には一件の避難小屋が建つ。多分そこの人だろうなあと思いながら言葉を交わす。
何処から来たのかの問いに吉野からと答え、今日は行仙宿に泊まるのかに、いえ玉置神社まで行きますと返した。ほう、そりゃあ頑張って、との応援を受け先を急ぐ。
何もハッタリをかますつもりはないが、言葉にすることによりより一層覚悟が決まる。
何より今の気力に今の体力なら全然楽勝だと思えた。
「ミカン食べて行きませんか」
小屋の前で声を掛けられた。
いつもなら自分のペースを守り、淡々と休まずに進むボクなのだが、ここで足を止めたのは単独行ゆえの人寂しさからだろうか。そう言えば吉野を発って丸二日、挨拶以外の言葉をろくに発していなかった。
ふたつに割られたそれはみかんではなく甘夏だった。でもそんなことは問題じゃない。その甘さが、酸味が、瑞々しさが、早くも飽きだしているラーメンの味や、辟易する行動食に味気なさを洗い流していった。
「コーヒーも淹れるからな」
小屋の中からも誘われた。
「ここまで何人くらい追い抜いてきた」
「5,6人くらいですかね」
「それじゃあ、その分も淹れておこう」と小屋へ戻る背に
「まだまだ来ないと思いますよ」と声をかける。
結局のところ、あまり豆がないというのでインスタントを頂く。いつもならブラックだが、砂糖にミルクも入れ、カロリーたっぷりにする。
「トレランですか」甘夏をくれたコが尋ねる。
「荷物があるんで速めのハイキングですね」と答える。
彼女たちは東京から奥駈を2泊3日で走りに来たのだそうだ。
どおりで八経ヶ岳を登る途中で「大会でもやってるんか」なんて聞かれたわけだ。駆け抜ける数人とすれ違い、遅れてきたボクを見たら脱落したコなんだろうなって思われても不思議ではない。
そして途中転んで膝を痛めた彼女ひとり、この持経宿に泊り、今日本宮にゴールするメンバーと合流すべく車で送ってもらうのだと言った。
「途中、山伏に会いましたか」
「いや、ひとり、ふたりくらいかな」
山上ヶ岳辺りではすっかり夕方になっていたので、修験の人たちは宿坊に納まっていたのだろう。昼間なら「ようおまいり」地獄に突入するところだがその言葉をほとんど発していなかった。
彼女ら女子たちは山上ヶ岳に登れないので、男子たちと別れ面白くもない長い車道を走ってきたのだと残念そうに語る。
そうしてトレラン話はUTMF、TJARから始りキャノンボールにも及んだ。
「前回、出たんですよ」嬉しそうに話す「アンちゃん」はダイトレすら知らなかった。
「あんなに安いエントリーフィーで、あれだけエイドが充実しているなんて感動しました」公式エイドはアキタさんとこしかないので他はすべてボランティアである。それでも回を重ねるごとにその数は増え、豪華になり、痒いところに手が届くようになっていった。
「レースはしんどいけどキャノンボールだけは楽しいねん。他のは周りがみんな敵やけど、キャノンボールだけはみんな仲間やからな」ってシンちゃんの言葉通りに、いつの間にか誰からも愛されるレースに育っていた。
「そろそろ行きますわ」と断りを入れる。
「長い事引き止めてしまって」と詫言を返された。
「いえいえこの二日"こんにちは"しか口にしていなかったので、久しぶりにこうして人と会話が出来て嬉しかったです」と素直な気持ちを吐いた。
「お気を付けて」と見送られ、前回いつまで上りが続くねんと笠を投げ出したくなった笠捨山へ差し掛かったのだった。
多少痛みの残る右膝はほんの2~30分の休憩ですっかり良くなり、むしろ休んだ方が早く玉置神社に着けそうだというくらいペースも調子も気分も上がっていた。
しかし笠捨山の中腹くらいに差し掛かった時、両膝のすぐ上に鈍く重たい違和感を感じ始めていた。それはゆっくりと拡がり急速に痛みを増して行った。
平坦な路では全く問題ない。だが少しでも傾斜があり踏ん張らなければならないと針を突き立てる様な痛みが走った。筋肉痛だった。
たとえ100km山を越えたとしてもピクリとも残らないのに、それは奥駆三日間にしてのまさかの痛みだった。
たいした距離でもないしとネオパスタノーゲンも持たずに着た事を激しく後悔していた。今あるのは痛み止めのロキソニン2錠と、攣った時用の芍薬甘草湯と腹薬の陀羅尼助が各一包に過ぎなかった。
ロキソニンも疲労による関節痛には劇的に効果があるのだが筋肉痛にはほとんど効かないようで、貝吹金剛を下りる頃にはその脚を斬り落としたい程にまで痛みを増していたのだった。
それでもここから先は消化試合。ダラダラとひたすら長く単調な路が玉置さんまで続いていたはずだ、と一年前の記憶に頼る。
しかしそこはボクが記憶していたほどには平坦ではなく、対して長くもない上りに苦しめられ、ロープを張って置いてくれよと思わせる位には急な下りに徐々に痛めつけられていった。
玉置山に差し掛かるころには既に黄昏時であった。薄暗い山路は危ないよなって、うそぶきながら林道京野谷線を歩いた。もちろん傾斜が緩く脚に優しい車道を歩きたかっただけだ。
それから日が暮れきる前にキャンプ地を探さなければならないってのももちろんあった。玉置山山頂辺りしかツェルトを張れそうにない奥駈道を辿るよりも、車通りのない脇道や広く張り出した路肩の方がある分、車道の方がキャンプ適地を見つけられそうだったってのは後付けの言訳かもしれない。
最初に目星をつけたのは展望台。地図にはトイレも書かれている。ただ水があるかどうかが、それこそそこを幕営地と出来るかどうかの一番の問題点だった。
そもそも痛む脚を押してまで玉置さんまで来たのは水を汲むため。現時点、水筒には残り100mlもない。水を汲むまでは晩飯にすらあり付けない。
南奥駈道は水場が乏しいのは知っていた。そこに点在するわずかな水場は20分も掛けて沢へ下らなければならない。それこそ今のボクなら倍の40分は掛かるだろう。そんな寄道をする余裕など到底なかった。寄道をしてヘタに距離を延ばすよりは、身軽な内に出来るだけ距離を稼ぎたかった。
間もなく向いの山へ、日が沈む。
その時を展望台で迎えられたらと思い急ぎもしたが、無情にもその山陰ヘ暮れるより先に、低く棚引く夕暮れ雲へとその夕日は消えていった。
果たして訪れた展望台は東屋もあり、紙も備わったトイレもあり、もちろん眺望もありで幕営地として申分なかったわけだが、水だけがなかった。
いやあるにはあったが、トイレの屋根より引き入れた雨水を貯めただけの簡易水道が。もちろん今この状況が生死に係わるほどの極限状態であったならそれをためらわず飲もう。でも今はそこまでではない。あと数km歩めば水など何ℓでも汲める。それをボクは知っていた。それなのにそんな水は飲めない。調理にも使えない。ここは諦める他なかった。
次の候補地は玉置神社駐車場だった。ここにもトイレがあったはず。当初の予定では、そこにある茶屋にて飯なぞ食べながら麦酒の一杯でも傾けようと思っていた。だが、無論こんな時間には開いてなかった。
そろそろマジックアワーも終わる頃。夜の帳を下ろした淡墨の空のもと、駐車場の片隅には自立型テントが六帳、あたかもその全てがひとつのパーティーのものであるかのように寄り添い建ち並んでいた。
その傍らにあった自販機に、やおら百円玉一枚と十円玉二枚を突っ込む。少し迷いネクターのボタンを押す。ガタンと大きな音が響き渡った。そしてその音に呼応するようにひとつのテントに明かりが灯る。驚かせてしまって申し訳なく思いながら、乾いた胃袋と心を潤すように一気に飲み干し足早にその場を立ち去った。
それから境内に入り水を汲んだ。それこそ結局のところ当初予定していた通りの玉置神社での補給だった。参拝時間を過ぎていても善意の御神酒は並んでる。それでもそれをこの場で頂くのはなんとなくマナー違反な感じがして、その垂れ流すだけの水を頂くだけでも十分過ぎるほどな施しな気がして、それには手を付けずに「ああここは泊まりやすそうだな」って前回思った裏参道の駐車場を目指し再び坂を下っていった。
そもそも幕営したい場所ってのは人間である限り、ホボホボ同じ場所を選ぶと思う。ボクもその一般的な人間であるように、同じようなことを考える人間はそれこそ多いようで、そこにも既に五帳ほど先客のものが建ち並べてあった。ここもまた眠りについている人も多かろうと驚かさないように辺りを探る。
しかし良さそうな立木は見つからない。しゃあなしに林道の奥に幕営地を求める。しかしそこは車により固く踏みしめられた森林組合の管理通路のようだった。
片側は立木に繋ぐとして反対側はどうすればいいのか。参道入口に立てかけられた杖を拝借し、ガイドを伸ばす。問題は地面の固さだ。それこそカーボンコアステイクは辛うじて効くものの一本しか持ってきていない。プラペグは先端すら刺さらなかった。ペグを打つのにも苦労するほど脆い岩しかない山域には、ガイドをしっかりと張り延ばせるほど大きな岩は容易には見つからなかった。ようやく拳二つ分くらいの岩をふたつ見つけ、重ねて張綱を巻いた。
最後の晩餐はレトルトの釜めしにワラビラーメン。シェラカップにはレトルトの釜めしを全て浸けるほどの大きさはない。そこで四隅を各々突っ込みながら温めた。同時に残っていたワラビも入れて。
本宮まであと15,6km。水をたっぷり持っていく必要はないので贅沢に2回茹でこぼす。これで少しはえぐ味の少ないラーメンになった。
酒は結局一合にも足りないくらいしか残っていなかった。これは持っていく酒の量を増やすよりアルコール度数を上げるべきかもしれない。スピリタスなら350mlも持っていけば十分だろう。いざという時には燃料にもなる。問題は美味しくないってことだが。
---------- 反省会 ----------
ストックを持つスタイルはカッコ悪いし邪魔なので嫌いだが、長距離縦走には必要かも?ツェルトも張りやすいし。
ネオパスタノーゲンやタイガーバーム系は必要だ。虫除けとしても使えるし。
酔いつぶれるまで呑んでしまうので、結局少しくらい量を増やして無駄なような気がする。度数の高い酒、ロンリコ151やスピリタス辺りにしようか?
遭遇:アンちゃん
呑み:幕営地
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ルート:楊枝宿 - 釈迦ヶ岳 - 太古の辻 - 天狗山 - 地蔵岳 - 証誠無漏岳 - 持経宿 - 倶利伽羅岳 - 笠捨山 - 槍ヶ岳 - 香精山 - 玉置神社 - 玉置神社裏駐車場
日程:20130503-06(三泊四日)
コースタイム:15h00min(三日目、休憩時間を含む)
釈迦ヶ岳:1,799.6m
天狗山:1,537.1m
地蔵岳:1,464m
証誠無漏岳:1,301m
倶利伽羅岳:1,252m
笠捨山:1,352.7m
槍ヶ岳:1,250m
香精山:1,121.9m
玉置山:1,076.8m
距離:38.633km
累積標高:3,423m
天候:晴れ
気温:?
湿度:?
目的:100kmハイク
単独行
まだ夜も明けきらぬ早朝。暗闇の中に蠢くものの気配で目を覚ます。その音につられるように多くの人が動き出し朝食の用意を始めた。時計を見るとまだ3時半くらいだ。薄明が始まるまでにまだ一時間近くある。
昨日怠けた分もきっちりと取り戻さなければならないのだが、昨夜の件もあることだし暗闇をヘッデン頼りで歩く気などさらさらなかった。もう一度眠りに着き外が薄明るくなった頃には小屋の中にはボクを含めて2,3人しか残っていなかった。
湯を沸かし素ラーメンを啜る。手早く荷物をまとめ、土間の隅に置かれた箒で掃除をした。
外は夜明け。薄墨を流した空が澄んだ青に抜けていく。奥駈道は小屋を出てすぐに尾根筋を辿り、急激に高度を上げていった。
昨夜、一体どこを歩き彷徨っていたのだろう。小屋の外周をぐるりと回っているはずだから、この尾根を伝う奥駈道を横切っているはずだった。
しかしこんな急峻な尾根をトラバースした覚えはない。朝日に照らされた光景の何処にも昨夜の名残りは見出せなかった。
それはまるですべてが夢の中であったかのような、何者かに記憶を改竄されたかのような違和感だった。
ヘッデンに照らされぼうっと浮かび上がる笹原の中の一本道。限りなく彩りを失った灰色の世界。そこではどちらを選ぼうとも決して避難小屋へは辿り着けなかった。生と死の狭間。まるで三途の川を渡るかのように緩い姫笹の流れを渡り歩いた。
そして対岸に流れ着き、一つの案内板により世界は色を取り戻した。それは木々に貼られた赤テープであり、忘れていた新緑の青さであった。平坦な景色が現実味を取り戻した。そうしてボクは小屋に辿りつくことが出来たのだった。
あの夜空にそびえる山々の黒さを、足元に広がる姫笹の白さを、夜中に沢へ下ることの浅はかさを、擦りむきシュラフの中でべとつく脚の気持ち悪さを、死とは些細なことで訪れるのだということを、その愚かな一夜を、ボクは決して忘れないだろう。
明るく心地よい仏性ヶ岳を越え、孔雀覗きを覗き高度感にくらくらしながらも空鉢岳で不動明王に手を合わせた。
そうして訪れた釈迦ヶ岳。ああ、ボクはここに来るために奥駈ていたんだなって思うくらい青空を光背としてすっくと立つ釈迦如来のお姿は例えようもないほど神々しかった。
奥駈最大のイベントをこなし、後は惰性の消化試合って感じになってしまったが、ここまで来てまだ奥駈全行程の半分もこなせていなかった。
前回たまらずDNFした太古の辻を楽々越えた。ゆるゆると果てしなく続く爽快なトレイル。吹雪の中と晴天の下でこれだけ違うのかと唸るほどその路は素晴らしかった。10kgを優に越える荷を背負っては走ることは叶わないが、空身ならどこまででも駆け抜けて行けそうな快適な路だった。
阿須迦利岳からの急坂を足早に下る。途中で柴を刈る人と出会い挨拶を投げ掛け、しばし足を止めた。
この坂の袂には一件の避難小屋が建つ。多分そこの人だろうなあと思いながら言葉を交わす。
何処から来たのかの問いに吉野からと答え、今日は行仙宿に泊まるのかに、いえ玉置神社まで行きますと返した。ほう、そりゃあ頑張って、との応援を受け先を急ぐ。
何もハッタリをかますつもりはないが、言葉にすることによりより一層覚悟が決まる。
何より今の気力に今の体力なら全然楽勝だと思えた。
「ミカン食べて行きませんか」
小屋の前で声を掛けられた。
いつもなら自分のペースを守り、淡々と休まずに進むボクなのだが、ここで足を止めたのは単独行ゆえの人寂しさからだろうか。そう言えば吉野を発って丸二日、挨拶以外の言葉をろくに発していなかった。
ふたつに割られたそれはみかんではなく甘夏だった。でもそんなことは問題じゃない。その甘さが、酸味が、瑞々しさが、早くも飽きだしているラーメンの味や、辟易する行動食に味気なさを洗い流していった。
「コーヒーも淹れるからな」
小屋の中からも誘われた。
「ここまで何人くらい追い抜いてきた」
「5,6人くらいですかね」
「それじゃあ、その分も淹れておこう」と小屋へ戻る背に
「まだまだ来ないと思いますよ」と声をかける。
結局のところ、あまり豆がないというのでインスタントを頂く。いつもならブラックだが、砂糖にミルクも入れ、カロリーたっぷりにする。
「トレランですか」甘夏をくれたコが尋ねる。
「荷物があるんで速めのハイキングですね」と答える。
彼女たちは東京から奥駈を2泊3日で走りに来たのだそうだ。
どおりで八経ヶ岳を登る途中で「大会でもやってるんか」なんて聞かれたわけだ。駆け抜ける数人とすれ違い、遅れてきたボクを見たら脱落したコなんだろうなって思われても不思議ではない。
そして途中転んで膝を痛めた彼女ひとり、この持経宿に泊り、今日本宮にゴールするメンバーと合流すべく車で送ってもらうのだと言った。
「途中、山伏に会いましたか」
「いや、ひとり、ふたりくらいかな」
山上ヶ岳辺りではすっかり夕方になっていたので、修験の人たちは宿坊に納まっていたのだろう。昼間なら「ようおまいり」地獄に突入するところだがその言葉をほとんど発していなかった。
彼女ら女子たちは山上ヶ岳に登れないので、男子たちと別れ面白くもない長い車道を走ってきたのだと残念そうに語る。
そうしてトレラン話はUTMF、TJARから始りキャノンボールにも及んだ。
「前回、出たんですよ」嬉しそうに話す「アンちゃん」はダイトレすら知らなかった。
「あんなに安いエントリーフィーで、あれだけエイドが充実しているなんて感動しました」公式エイドはアキタさんとこしかないので他はすべてボランティアである。それでも回を重ねるごとにその数は増え、豪華になり、痒いところに手が届くようになっていった。
「レースはしんどいけどキャノンボールだけは楽しいねん。他のは周りがみんな敵やけど、キャノンボールだけはみんな仲間やからな」ってシンちゃんの言葉通りに、いつの間にか誰からも愛されるレースに育っていた。
「そろそろ行きますわ」と断りを入れる。
「長い事引き止めてしまって」と詫言を返された。
「いえいえこの二日"こんにちは"しか口にしていなかったので、久しぶりにこうして人と会話が出来て嬉しかったです」と素直な気持ちを吐いた。
「お気を付けて」と見送られ、前回いつまで上りが続くねんと笠を投げ出したくなった笠捨山へ差し掛かったのだった。
多少痛みの残る右膝はほんの2~30分の休憩ですっかり良くなり、むしろ休んだ方が早く玉置神社に着けそうだというくらいペースも調子も気分も上がっていた。
しかし笠捨山の中腹くらいに差し掛かった時、両膝のすぐ上に鈍く重たい違和感を感じ始めていた。それはゆっくりと拡がり急速に痛みを増して行った。
平坦な路では全く問題ない。だが少しでも傾斜があり踏ん張らなければならないと針を突き立てる様な痛みが走った。筋肉痛だった。
たとえ100km山を越えたとしてもピクリとも残らないのに、それは奥駆三日間にしてのまさかの痛みだった。
たいした距離でもないしとネオパスタノーゲンも持たずに着た事を激しく後悔していた。今あるのは痛み止めのロキソニン2錠と、攣った時用の芍薬甘草湯と腹薬の陀羅尼助が各一包に過ぎなかった。
ロキソニンも疲労による関節痛には劇的に効果があるのだが筋肉痛にはほとんど効かないようで、貝吹金剛を下りる頃にはその脚を斬り落としたい程にまで痛みを増していたのだった。
それでもここから先は消化試合。ダラダラとひたすら長く単調な路が玉置さんまで続いていたはずだ、と一年前の記憶に頼る。
しかしそこはボクが記憶していたほどには平坦ではなく、対して長くもない上りに苦しめられ、ロープを張って置いてくれよと思わせる位には急な下りに徐々に痛めつけられていった。
玉置山に差し掛かるころには既に黄昏時であった。薄暗い山路は危ないよなって、うそぶきながら林道京野谷線を歩いた。もちろん傾斜が緩く脚に優しい車道を歩きたかっただけだ。
それから日が暮れきる前にキャンプ地を探さなければならないってのももちろんあった。玉置山山頂辺りしかツェルトを張れそうにない奥駈道を辿るよりも、車通りのない脇道や広く張り出した路肩の方がある分、車道の方がキャンプ適地を見つけられそうだったってのは後付けの言訳かもしれない。
最初に目星をつけたのは展望台。地図にはトイレも書かれている。ただ水があるかどうかが、それこそそこを幕営地と出来るかどうかの一番の問題点だった。
そもそも痛む脚を押してまで玉置さんまで来たのは水を汲むため。現時点、水筒には残り100mlもない。水を汲むまでは晩飯にすらあり付けない。
南奥駈道は水場が乏しいのは知っていた。そこに点在するわずかな水場は20分も掛けて沢へ下らなければならない。それこそ今のボクなら倍の40分は掛かるだろう。そんな寄道をする余裕など到底なかった。寄道をしてヘタに距離を延ばすよりは、身軽な内に出来るだけ距離を稼ぎたかった。
間もなく向いの山へ、日が沈む。
その時を展望台で迎えられたらと思い急ぎもしたが、無情にもその山陰ヘ暮れるより先に、低く棚引く夕暮れ雲へとその夕日は消えていった。
果たして訪れた展望台は東屋もあり、紙も備わったトイレもあり、もちろん眺望もありで幕営地として申分なかったわけだが、水だけがなかった。
いやあるにはあったが、トイレの屋根より引き入れた雨水を貯めただけの簡易水道が。もちろん今この状況が生死に係わるほどの極限状態であったならそれをためらわず飲もう。でも今はそこまでではない。あと数km歩めば水など何ℓでも汲める。それをボクは知っていた。それなのにそんな水は飲めない。調理にも使えない。ここは諦める他なかった。
次の候補地は玉置神社駐車場だった。ここにもトイレがあったはず。当初の予定では、そこにある茶屋にて飯なぞ食べながら麦酒の一杯でも傾けようと思っていた。だが、無論こんな時間には開いてなかった。
そろそろマジックアワーも終わる頃。夜の帳を下ろした淡墨の空のもと、駐車場の片隅には自立型テントが六帳、あたかもその全てがひとつのパーティーのものであるかのように寄り添い建ち並んでいた。
その傍らにあった自販機に、やおら百円玉一枚と十円玉二枚を突っ込む。少し迷いネクターのボタンを押す。ガタンと大きな音が響き渡った。そしてその音に呼応するようにひとつのテントに明かりが灯る。驚かせてしまって申し訳なく思いながら、乾いた胃袋と心を潤すように一気に飲み干し足早にその場を立ち去った。
それから境内に入り水を汲んだ。それこそ結局のところ当初予定していた通りの玉置神社での補給だった。参拝時間を過ぎていても善意の御神酒は並んでる。それでもそれをこの場で頂くのはなんとなくマナー違反な感じがして、その垂れ流すだけの水を頂くだけでも十分過ぎるほどな施しな気がして、それには手を付けずに「ああここは泊まりやすそうだな」って前回思った裏参道の駐車場を目指し再び坂を下っていった。
そもそも幕営したい場所ってのは人間である限り、ホボホボ同じ場所を選ぶと思う。ボクもその一般的な人間であるように、同じようなことを考える人間はそれこそ多いようで、そこにも既に五帳ほど先客のものが建ち並べてあった。ここもまた眠りについている人も多かろうと驚かさないように辺りを探る。
しかし良さそうな立木は見つからない。しゃあなしに林道の奥に幕営地を求める。しかしそこは車により固く踏みしめられた森林組合の管理通路のようだった。
片側は立木に繋ぐとして反対側はどうすればいいのか。参道入口に立てかけられた杖を拝借し、ガイドを伸ばす。問題は地面の固さだ。それこそカーボンコアステイクは辛うじて効くものの一本しか持ってきていない。プラペグは先端すら刺さらなかった。ペグを打つのにも苦労するほど脆い岩しかない山域には、ガイドをしっかりと張り延ばせるほど大きな岩は容易には見つからなかった。ようやく拳二つ分くらいの岩をふたつ見つけ、重ねて張綱を巻いた。
最後の晩餐はレトルトの釜めしにワラビラーメン。シェラカップにはレトルトの釜めしを全て浸けるほどの大きさはない。そこで四隅を各々突っ込みながら温めた。同時に残っていたワラビも入れて。
本宮まであと15,6km。水をたっぷり持っていく必要はないので贅沢に2回茹でこぼす。これで少しはえぐ味の少ないラーメンになった。
酒は結局一合にも足りないくらいしか残っていなかった。これは持っていく酒の量を増やすよりアルコール度数を上げるべきかもしれない。スピリタスなら350mlも持っていけば十分だろう。いざという時には燃料にもなる。問題は美味しくないってことだが。
---------- 反省会 ----------
ストックを持つスタイルはカッコ悪いし邪魔なので嫌いだが、長距離縦走には必要かも?ツェルトも張りやすいし。
ネオパスタノーゲンやタイガーバーム系は必要だ。虫除けとしても使えるし。
酔いつぶれるまで呑んでしまうので、結局少しくらい量を増やして無駄なような気がする。度数の高い酒、ロンリコ151やスピリタス辺りにしようか?
遭遇:アンちゃん
呑み:幕営地
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