焚火は良い。
いつぶりの焚火だっただろうか。おそらくは10年ほど前、大分は龍門の滝で炎を眺めながら酒を啜って以来のことだ。
そもそもここに来たのは焚火をするためではなかった。その理由なんてどうだっていいのだが、かなり困った事態になっていたのは確かだった。
日没過ぎ。ゲートを潜る。谷間へと下りていくと、何処からともなく焚火の香りが漂ってきた。先客が居るのかと思いながら河川敷へ下りた。人気はなく、火の気もなかった。ただ、谷間に焚火の残り香が留まっているだけだった。ひとつ、ふたつ、みっつと計三ヶ所ほど焚火の跡が残る。そのうちのひとつには消し炭も残っており、火をかき混ぜるのにお誂え向きな枝まで用意されていた。
本格的な闇が訪れる前にツエルトを張る。マットを敷き、寝袋を広げ、寝支度はものの5分ほどで整った。後は夜が明けるまでの膨大な時間をどうやって潰すか、だった。
そりゃあ、もちろん、焚火だ。
ここまでお膳立てが整っていて焚火をしないわけにはいかないだろう。芳しい香りは気分を盛り立て、夜の帳と共に訪れた夜気は、その温もりを求めさせた。
消し炭を集め落葉を被せる。上に小枝を組み、火を付けた。湿った落葉は煙ばかり上げ、火はあまり大きくならない。それでも落葉を加え、薪を集め、火が消えぬうちに又落葉を追加する。何度も何度も繰り返し、湿気た薪にもようやく火が付く。
落葉はもういらない。後は適度に薪をくべながら杯を傾けるだけだ。
焚火は心を落ち着かせる。
それは、たぶん、原始からの記憶。遺伝子に組込まれた本能。闇を照らしだす明るさが、肌を焼きつける温もりが、獣を追い払う猛々しさが、ボクの不安を消し去っていった。
やっぱり焚火は良い。
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