日程:2012/02/04(日帰り)
ルート:柏原登山口 - 養鶏場 - 二本杉(一合目) - 避難小屋(四合目) - 河内道分岐(七合目) - 河内道 - 河内道分岐(七合目) - 避難小屋(四合目) - 二本杉(一合目) - 養鶏場 - 柏原登山口
コースタイム:8h 54min(休憩時間を含む)
霊仙山:1083.45m
花の百名山85
関西百名山10
距離:15.735km
累積標高:1,213m
天候:晴れのち曇り
気温:?
湿度:?
目的:雪遊び
単独行
このところの大雪に対してこれはもう雪遊びをしなくては申し訳がたたない、とばかりに仕事帰りに滋賀にて前泊し雪山を目指す。
米原より大垣行の各停に乗込み、伊吹山と霊仙山どちらが天候が良いか車窓より眺めていた。
醒ヶ井へと向かう途中、霊仙山の上を吹き荒ぶ尾引き雲を見るにつれ、やっぱ伊吹山かな?なんて思ったりもしていたのだが、近江長岡が近付くにつれ、厚く覆われたその頂を認めては、やっぱ霊仙山っしょ!と柏原で降りたったのであった。
ファイントラックのフラッドラッシュアクティブスキンをドライレイヤーにアンダーアーマーのコールドギアで保温。オマケ的なユニクロのストレッチフリース、アディダスのジャージを着てモンベルの合羽で風を防ぐ。下はユニクロのストレッチロングタイツ、アウトドアリサーチのクライミングパンツにモンベルの下を重ねて、何処のか分からないゲイターを着けた。
APCとトレッキングメーカーのウールの靴下二枚履きにAKUの登山靴で足元を固め、BIGIのニットキャップに、エトスのインナーグローブってな微妙にちぐはぐ格好でスタートする。
高速を潜るとそこは登山口。入山ポストがあるにはあるが、いつも通りに行き当たりばったりで山行計画など考えないボクが計画書など出すはずもない。今までの唯一ってのが、冬の氷ノ山に友人と登った時くらいで、単独行だと当初考えていたルート通りに行くなんてことは50%にも満たないわけで、出すこと自体が無意味やなって子供の時から思って過ごしてきたのだからその辺りは仕方がない。熊出没注意の看板にも、青森辺りの山に入るときはビビリはするものの、滋賀辺りでは、どうせ鹿くらいしか出えへんわ、とナメまくったりもしていた。
それでも後先にだれ一人としていない単独行は寂しいな、って思ったりもしていたのだが、降り積もった雪に残るふたつの足跡は、先に少なくとも二人は登っている証拠を示してくれていて、その微かな徴だけでもボクは勇気付けられていたのだった。
養鶏場のちょっと手前の道端で、何やら靴に装着しているふたり組を見掛けた。アイゼンでも着けているのだろう。アスファルト舗装された道とはいえ、圧雪凍結していたり、寒さが緩んだ時に溶けた雪が再び凍り付き黒々と路面を覆っていたりもして、足元が覚束なくなってきたのも確かだった。
こんにちわ、と通りすがりに挨拶をかけるが返事はない。アイゼンではなく輪かんじきを填めていたふたりは訝しげな目を向けるだけでなんの返しもなかった。なんか感じ悪いなと思いながら進んだ先には雪の壁が待っているだけであった。取り付きを越えてズンズンズンと進んでいくボクを見たからこそのそんな反応だったというのに、凍結した道を歩くのに輪かんを着けるはずないやろってことすらワカンなかった自分を棚に上げて、ココですよって声を掛けてくれないふたりに憤慨していたりもいた。
気を取り直し、彼らが座っていた辺りへと立ち戻ると、果たしてそこに登山道を示す看板が立っているのを見付けた。さっきはふたりの姿に気を取られ、道の反対に立つその目印にまったく気付いていなかったわけだ。
アトラスのスノーシューを装着し、グローブをロイシュへと換えた。そしてジョイントを伸ばしたブラックダイヤモンドのストックの先を見遣ると雪輪がひとつ消えていた。慌てて辺りを見回すが、ない。どこで落としてきたのだろうか?電車を降りたときには確かにあった、はずだ。確信はないけれども。これまでの道程を思い起こすが、どこで落としたのかなどさっぱり思い当たらない。仕方なくより深く潜る分ストックを目一杯伸ばし、雪深い山道へと入っていった。
当初、輪かんのトレースを辿っていたが、深く刻まれたその跡は不自然にスノーシューが沈み込みなんとも歩きにくく、すぐにだれも跡をつけていない新雪を歩くようになっていた。その膝まで沈み込む輪かんなふたりを尻目にズンズンズンと先へ進む。
スノーシューでは臑までのラッセルとはいえ流石に汗ばみ、合羽とジャージを脱ぐ。朝日での温もりと共に息吹く木々の美しさにカメラを構えていると、いつしか先程追い抜いてきたひとに追いつかれていた。
「いやぁ、付いていくと楽やわ」と息を弾ませる。「跡を辿ってもええですか?」と続ける。
「いいですよ、壺足や輪かんの跡を歩くより楽ですし」と答えたのは、社交辞令なんてもんではなく、もちろん本心からの言葉だった。
「それ幾らくらいすんの?」「2~3万くらいですわ」「それだけの価値はあるわな」「小銭落としてもうたわ」「無理とちゃいますか?」
これから先の用意をするあいだの他愛もない会話。
「それではお先です」「相方を待ちます」と別れを交わしてひとり先へと進んだ。
目の前を猿が横切っていった。
空は真冬とは思えぬほど深く澄み、雪が創り出した静寂に鳥の声だけが響く。目の前にはわずかに小動物が跡を残すだけの滑らかな雪面が続き、後ろを振り返るとしっかりとボクのトレースが刻まれていた。
この辺りまで来ると積雪も増え、膝下くらいまで沈み込むようになっていた。膝を越えるラッセルは、体力を消耗させ、顎を伝い落ちるほどの汗をかかせる。喉の渇きを覚えるが、軽量化のため、水は持ってこなかった。冬山はあまり水分を必要としないし、雪を沸かせばいいと考えていたからだった。
しかし思ったよりも気温が高く、また沢筋の路は無風で、体温だけが上がり、汗ばむようになっていた。象印のテルモスの中には熱々のコンソメスープが入ってはいるが、それは喉の渇きを癒すよりも一層酷いことにするだけである。足元の雪を掬い口元へ運ぶが、握っても固まらずに崩れ落ちるだけで、ほとんど水分として摂ることが出来なかった。
水のことしか考えられなくなって来た頃、いつしか路は消え、深くV字に刻まれた谷の斜面を辿るようになっていた。雪の重さに耐えかね根元より折れた杉が行く手を阻み、斜面を滑り落ち溜まった雪は腿までもあった。路を間違えているのではないか?尾根筋へと上る路を見落としたのではないか?何処かにテープはないか?と振り返ったり、辺りを見回したりしながら、不安を抱えて進んでいた。
雪深く急な斜面は、膝でステップを切り、そこにスノーシューをはめ込むようにしながら登らないと、表面を掻き落とすばかりでずり落ちて上ることが出来ない。より一層ペースが落ち、汗をかき、そしてさらに雪を食べた。それでも引き返さなかったのは、赤テープを見付け、路を間違えてはいなかったと安心したからだった。
そろそろ、四合目避難小屋に着いてもええ頃やろ?と考えていた。
避難小屋に着いたら、湯を沸かし、昼飯を喰らって、今後の計画を立て直そうと思っていた。そういえば二本杉は何処に行ったんだろうかなんて思い返していた。
そもそも、このルートには何があって、どんなところを、どんな感じで辿るかすら知らなかったのだ。
薄暗く、雪の吹き溜まった谷筋を抜け、ようやく日差しが射し込み、尾根筋へ出るぞ、って出たら、紛う事なき「二本杉」たる太く大きくそそり立つ二本の杉が眼前に雄々しくそそり立っていた。
それはすなわち、コースタイム45分の路に2時間20分。およそ三倍もの時間を費やしていたってことだった。ここから避難小屋まで同じく45分。河内道分岐まで40分。継子穴20分、四丁横崖20分、避難小屋20分、経塚山15分、霊仙山山頂15分と合計2時間55分。この先稜線を辿るからそれほど雪深くもないだろうから、と二倍の時間を見込んだとしても、山頂に立つときにはとっぷりと日が暮れてしまう。予定ではお虎ヶ池、見晴台、汗拭き峠、榑ヶ畑登山口で日没を迎えれば、あとはペツルのヘッデンひとつあれば養鱒場まで大丈夫だろうって算段だったのだ。
眺望を求め尾根筋へと上がる。そして吹き曝しを避けて荷を降ろした。
シエラクラブのとチタン製のシエラカップに雪を詰めこみ、イワタニプリムスのガスストーブで湯を沸かす。二杯分の湯が沸くのを待つ間、真っ白な雪面に真っ黒な海苔を撒き散らしながらコンビニおにぎりを三個食した。
木々の切れ間から遠く雪を頂く山々を眺める。登り損ねた伊吹山の姿は見るべくもないが、雪を頂く養老山に連なる山並みが眼前に拡がっていた。見上げれば真っ青な空。時刻は正午前。ここで引き返しても良いがそれではちょっと物足りない、と改めて四合目避難小屋を目指した。
風が吹き抜けていく稜線上は、あれほど降り積もっていた雪も飛ばされていて、予想通りに歩きやすかった。このペースで行けば一時間とかからずに避難小屋へ着くのではないだろうか、とのんきに考えさせるに十分なほどだった。
しかしその尾根道は、雪の重さに耐えかねだらりと枝を垂らした木々によって塞がれることになる。流石にその雪を振り払い、枝を掻き分け、膝まで埋もれながらの山行を続けるだけの体力も気力もないぞ、とこれまた良い言い訳が出来たな、などと今来た路を引き返し始めた。すると尾根を下って杉の木立を抜ける方角に赤いテープが揺れているのを見付けてしまう。これは里へと抜けるエスケープルートかもしれないな、と思いながらもそちらへ導かれていったのだった。
吹き溜まった雪に膝まで埋もれてのラッセル。行く手を阻む雪まみれの木立。そして眺望のない薄暗い山道がひたすら続いていた。再び汗ばみ、喉の渇きも憶え、もう引き返したくて仕様がなくなってきた頃合に「二合目」の看板を見付けた。それは、一歩、また一歩と繰り返してきたその歩みは、わずかずつでも確実に山頂へと向かっていたのだと、この路は間違いではなかったのだと、そう励ましてくれているようにも思え、文字通りこれから行く先を示してくれてもいるのだった。
膝まで埋まるラッセルを避け尾根筋を辿りたいのだが、木々に阻まれ吹き溜まる斜面へと下り、遅々として進まぬ歩みと滴り落ちる汗に辛抱たまらんと尾根へと上る。そんな行為を何度か繰り返しようやく訪れた三合目。ようやく、なんて思ったが、時間的には大したことはなかった。思うように進めない精神的な疲労から、えらく時間がかかったような気がしただけであった。
これなら意外と早く「四合目避難小屋」に着くかもしれないな、って思いは、それから同じくらい時間を費やして出会った「三合目」の看板によって打ち砕かれていた。おそらくこちらが真の「三合目」であり、あちらは誰かが勝手に建てていった糠喜びな指標に過ぎないのであった。
「四合目避難小屋」はすっかり雪に埋もれていた。これは使えないかな?と思いながらも吹き上げられた雪がこんもりと積もるコブをシリセードで下りていった。
前へ回ると開け放たれた入り口が、ポッカリと口を開いていた。中を覗くと、吹き込んだ雪の上にはうっすらと小動物の足跡が続いている。下りていって一休みしようかとも思ったが、出るときには、1m以上の雪の壁をよじ上らなければならないのがなんとも億劫に思えて、入り口の前で震えながら休憩を取る。そしてこれからの計画を練った。
思ったよりも早く「四合目避難小屋」へ着いた。だが、もちろん山頂を踏むのは無理な時間。山頂前避難小屋でビバークして翌日って手もあるが、そこまで行きました、すっかり埋もれていました、掘り起こさなければ入れません、ってのは避けたかったワケで、とは云っても今来た路を戻るだけってのも面白くないワケで、この先にあるハズの河内登山道を下りようと決めたワケだった。たとえそれが無理であったとしても、最悪この避難小屋まで戻れば死ぬことはないって判断からの決断であった。
山頂へ向けて明確過ぎるほどに正確なルートが刻まれている。それは尾根筋をたどる登山道に西より吹き付ける風がこんもりと雪を積み重ねてゆき、より一層その道筋をハッキリと浮き上がらせているからだった。
そこから振り返れば山頂を雲に覆われた伊吹山が雄大な勇姿を拡げていた。その姿を見るにつけ、あぁやっぱりこちらに来て正解だったんだ、とあの辛かったラッセルも、焼け付く喉の渇きも、ほとんど誰とも会わない孤独な山行ですら、今となっては良き思い出、なんて終わってもいないのに回想してみたりもしながら雪に覆い被された樹木から吊り下がる氷柱を囓りながらその先へとすすむ。
「あの雪庇まで成長しきれていない雪の塊を汚しながら歩くのは楽しそうだな」なんてついさっきまで帰りたくて仕方がなかったハズなのに、ましてやこの先、山頂までたどり着くことすら出来るハズもないのに、妙にワクワクとした心持ちとなっていた。
そんな童心に還った山行気分に水を差すかのように、行く先には薄墨を流し込んだような薄気味悪い雪雲が筋を引きながら飛んでいくようになっていた。そのあまりの雲の流れの速さに急速に天候が悪化することを怖れ、雪が本降りになる、もしくは山頂が黒々と覆われるくらいまで雪雲が発達したのなら万難を排し、それこそ全力で下山しないといけないな、とせっかく楽しくなりかけてきたボクの思いにまで墨を流し込んでいた。
遠目にはモコモコと超え歩くのがなんとも楽しげに見えたスノーリッジは、いざ近づいてみるとボクの背をはるかに超えた壁となって立塞がっていた。それでもなんとかステップを切ってよじ上ろうとするが、吹き固められたそれは、膝で刻みながら上るというわけにはいかなかった。
なんともあっけなく諦め、南斜面をトラバースして抜ける。しかしそこは膝まで沈み込む吹き溜まりであり、辛抱溜まらんと再び尾根へと上がり、乗り越えられないコブに出会えばまた雪塗れのラッセルを繰り返していった。
そしてようやく訪れた本日に於いて最高峰であろうコブを乗り越え、この先間もなく出会うであろう河内道への分岐を見逃さぬように歩いていった。その遥か先の尾根には、避難小屋らしき影が浮かび上がり、その横には狩るべき予定であった霊仙山の山頂と思わしき箇所が重く立ち込めた雲に覆われながらも姿を現していた。
そうして出会った七合目を示す看板。そこから先の河内道へは、一見さんお断りの文言が書き連ねられていた。
もちろんボクはふりの客なワケで、なじみな方の案内があるのでもないのだけれど、ココまで必死のパッチで来ておきながら、はい、ご苦労さまでした元来た路をお戻り下さい、ってのはあまりに酷い話であって、いまさら後に退けるかいってなもんで、行く手を遮るロープを越えて谷筋へと歩み出したのだった。
膝まで吹き溜まった雪。その重みに耐えきれなかった木々を乗り越えながらも、後は下りるだけって陽気からか足取りは軽やかだった。しかし、幾ら進もうとも目印になるようなテープの道標はなく、それらしい感じに下りては来たものの、このまま調子を扱いて下って良いのだろうかと、白地図にシルバを取り出す。現在地こそ同定出来はしたが、この河内道ってルートは尾根伝いでもなく沢通しでもない、この先に見えるピークをトラバースしながら進む中途半端なルートであることもまた判明したのだった。
途中に社こそあるらしいが、ビバーク出来るかどうかも怪しい。そこを無理繰りに辿って、迷いました、日も暮れました、遭難しました、ってのだけは、ホンマにゴメンだとばかりに今来た路を引き返した。
臆病すぎるくらいに臆病なのが賢者の路。己の自信だけを頼りに前へと進むのは、蛮勇以外の何ものでもない。かといって、ここから引き返すとなると、河内路を下るのと比べ何倍もの距離を歩かなければならないのは確かに億劫でしかなかった。
時刻は午後三時になろうかという頃。日没が五時半頃と考えるに「四合目避難小屋」に三時四十五分着がタイムリミットだろうな、と考えていた。それよりも遅くなって、日も暮れた真っ暗な谷間をヘッデン頼りに歩き、踏み抜いて谷に落ちるなんてのだけは絶対に避けたかった。避難小屋に潜り込み、Foxfireのインナーダウンを着て、ありったけの服を纏い、モンベルのツェルトにくるまっていれば一晩くらい死ぬことはない。食糧も六枚切りの食パンが四枚にベビーチーズが四個、黒霧が弐百mlとまだ温いコンソメスープがテルミスに参百mlほど。アミノ酸が一袋。アメちゃんが五,六コにみそ汁だけは五拾食分もあった。それこそ水はないもののガスは二日分は残っている。これだけ充実していれば一晩だけなら大名気分で過ごせるってもんだった。
アミノ酸を唾液で少しずつ溶かし飲み込んでいく。この味を毛嫌いする人は多いが、僕は意外と好きだ。なにより不味い方が効きそうな気がする。多分にプラシーボ的なところがあるのかもしれないけれど、飲んだ直後から30分くらいは劇的に躰が軽くなる。
先ほどまでボクが付けてきたトレースを文字通り飛ぶように駆けのぼる。風が吹きすさぶ稜線上は早くも跡が消えかけているが、締まっているからもちろん何ら問題ない。よじ登れなかった雪庇もシリセードで下る分には快適だった。
アミノ酸が切れ足取りが重たくなったころ「四合目避難小屋」が姿を現した。時計はちょうど三時四十五分を指してる。予定通りの到着に満足し、休憩もそこそこに先を急いだ。
そういえば、輪かんのふたりはどこまで登ったのだろう?無事下山できる目処が付いた今、そんなことを考える余裕も出てきていた。
あのペースならいいとこ「二本杉」だろうな。それすらも危ういかもしれない。そうは思いながらも、どこかにトレースはないかと気にしながら下る。
偽三合目を越えてほどなく行ったころ登ってくる人影がふたつ目につく。まさかあの二人が?なんて愚かな考えが一瞬過るがもちろんそんなはずもなく、はるかに若いまったく別の二人組であった。
立止る二人に挨拶を投げかける。返事の代わりに、ボクの背後を指さし口をパクパクする。振り返り、避難小屋?と尋ねると、指を四本突き出し左手首を叩いた。一時間、と人差し指を立てて答える。
「あがとござました」たどたどしい日本語。浅黒い顔は雪焼けによるものではなく、東南アジア系に由るものかもしれない。
歩きだした彼らの足にスノーシューを見つけ、スノーシュー!と呼びかける。振り返った彼に指を四本立て、40分!と言い直した。
「あがとござました」と笑顔を返すその口元からこぼれた歯の白さは、やはり南国を思わせたのだった。
四合目までは実際のところ30分足らずで到着できるだろう。あえて多めに言ったのは、人ってもんは教えられた以上掛ると文句を言い、少ない分には気にしない生き物だからだ。だから時間だろうとお金だろうと手間だろうと適当に多めに答えておけばいいと思っている。二度と会うこともないだろうが、知らぬところで恨み言を重ねられるってのも気分がいいもんではない。
結局輪かんのふたりの痕跡を発見したのは「二本杉」どころの話ではなく、谷に入り込む前の林道傍らまでであった。くっきりと残された矩形のへこみは、お座敷的な空間を設えた痕であり、小用を為した黄色い痕が点在し、壺足で踏み荒らされたトレースには深々と穴が開いていた。
何のことはない彼らは雪山登山をしに来たのではなくて、雪原に宴会をしに来ただけだったのだ。酔っ払い再び輪かんを付けるのが面倒だったのだろう。何処まで行っても穴ぼこだらけのトレースは非常に歩き辛く、恩を仇で返された思いだった。
道端にモンベルの50lバックパックを下し、ベビーチーズをアテに芋焼酎を開けたのは、そんなやるせない気持ちからではなく、使う機会のなかったブラックダイヤモンドの10本歯になぜか紛れ込んでいたチタンペグ、いまだ一度として開いたことのないエマージェンシーシートまで含めて14kgを越える重量を少しでも減らしたいと思うくらいクタビレ果てていたからだった。
柏原駅に着いたのは、ちょうど夜の帳が下りたときだった。駅前にポツンポツンと灯りを灯す店を廻り、帰りの電車でくつろぐための酒にアテを調達する。もちろんそれは京都にたどり着くまでの繋ぎであって、へんこつでおでんをサルベージして帰った。
へんこつ
住所:京都府京都市下京区木津屋橋通烏丸西入ル東塩小路町579 あすなろビル1F
電話:075-343-5257
営業時間:17:00~23:00
定休日:日曜祝日
遭遇:猿x1、輪かんなヒトx2、スノーシューのヒトx2
ルート:柏原登山口 - 養鶏場 - 二本杉(一合目) - 避難小屋(四合目) - 河内道分岐(七合目) - 河内道 - 河内道分岐(七合目) - 避難小屋(四合目) - 二本杉(一合目) - 養鶏場 - 柏原登山口
コースタイム:8h 54min(休憩時間を含む)
霊仙山:1083.45m
花の百名山85
関西百名山10
距離:15.735km
累積標高:1,213m
天候:晴れのち曇り
気温:?
湿度:?
目的:雪遊び
単独行
このところの大雪に対してこれはもう雪遊びをしなくては申し訳がたたない、とばかりに仕事帰りに滋賀にて前泊し雪山を目指す。
米原より大垣行の各停に乗込み、伊吹山と霊仙山どちらが天候が良いか車窓より眺めていた。
醒ヶ井へと向かう途中、霊仙山の上を吹き荒ぶ尾引き雲を見るにつれ、やっぱ伊吹山かな?なんて思ったりもしていたのだが、近江長岡が近付くにつれ、厚く覆われたその頂を認めては、やっぱ霊仙山っしょ!と柏原で降りたったのであった。
ファイントラックのフラッドラッシュアクティブスキンをドライレイヤーにアンダーアーマーのコールドギアで保温。オマケ的なユニクロのストレッチフリース、アディダスのジャージを着てモンベルの合羽で風を防ぐ。下はユニクロのストレッチロングタイツ、アウトドアリサーチのクライミングパンツにモンベルの下を重ねて、何処のか分からないゲイターを着けた。
APCとトレッキングメーカーのウールの靴下二枚履きにAKUの登山靴で足元を固め、BIGIのニットキャップに、エトスのインナーグローブってな微妙にちぐはぐ格好でスタートする。
高速を潜るとそこは登山口。入山ポストがあるにはあるが、いつも通りに行き当たりばったりで山行計画など考えないボクが計画書など出すはずもない。今までの唯一ってのが、冬の氷ノ山に友人と登った時くらいで、単独行だと当初考えていたルート通りに行くなんてことは50%にも満たないわけで、出すこと自体が無意味やなって子供の時から思って過ごしてきたのだからその辺りは仕方がない。熊出没注意の看板にも、青森辺りの山に入るときはビビリはするものの、滋賀辺りでは、どうせ鹿くらいしか出えへんわ、とナメまくったりもしていた。
それでも後先にだれ一人としていない単独行は寂しいな、って思ったりもしていたのだが、降り積もった雪に残るふたつの足跡は、先に少なくとも二人は登っている証拠を示してくれていて、その微かな徴だけでもボクは勇気付けられていたのだった。
養鶏場のちょっと手前の道端で、何やら靴に装着しているふたり組を見掛けた。アイゼンでも着けているのだろう。アスファルト舗装された道とはいえ、圧雪凍結していたり、寒さが緩んだ時に溶けた雪が再び凍り付き黒々と路面を覆っていたりもして、足元が覚束なくなってきたのも確かだった。
こんにちわ、と通りすがりに挨拶をかけるが返事はない。アイゼンではなく輪かんじきを填めていたふたりは訝しげな目を向けるだけでなんの返しもなかった。なんか感じ悪いなと思いながら進んだ先には雪の壁が待っているだけであった。取り付きを越えてズンズンズンと進んでいくボクを見たからこそのそんな反応だったというのに、凍結した道を歩くのに輪かんを着けるはずないやろってことすらワカンなかった自分を棚に上げて、ココですよって声を掛けてくれないふたりに憤慨していたりもいた。
気を取り直し、彼らが座っていた辺りへと立ち戻ると、果たしてそこに登山道を示す看板が立っているのを見付けた。さっきはふたりの姿に気を取られ、道の反対に立つその目印にまったく気付いていなかったわけだ。
アトラスのスノーシューを装着し、グローブをロイシュへと換えた。そしてジョイントを伸ばしたブラックダイヤモンドのストックの先を見遣ると雪輪がひとつ消えていた。慌てて辺りを見回すが、ない。どこで落としてきたのだろうか?電車を降りたときには確かにあった、はずだ。確信はないけれども。これまでの道程を思い起こすが、どこで落としたのかなどさっぱり思い当たらない。仕方なくより深く潜る分ストックを目一杯伸ばし、雪深い山道へと入っていった。
当初、輪かんのトレースを辿っていたが、深く刻まれたその跡は不自然にスノーシューが沈み込みなんとも歩きにくく、すぐにだれも跡をつけていない新雪を歩くようになっていた。その膝まで沈み込む輪かんなふたりを尻目にズンズンズンと先へ進む。
スノーシューでは臑までのラッセルとはいえ流石に汗ばみ、合羽とジャージを脱ぐ。朝日での温もりと共に息吹く木々の美しさにカメラを構えていると、いつしか先程追い抜いてきたひとに追いつかれていた。
「いやぁ、付いていくと楽やわ」と息を弾ませる。「跡を辿ってもええですか?」と続ける。
「いいですよ、壺足や輪かんの跡を歩くより楽ですし」と答えたのは、社交辞令なんてもんではなく、もちろん本心からの言葉だった。
「それ幾らくらいすんの?」「2~3万くらいですわ」「それだけの価値はあるわな」「小銭落としてもうたわ」「無理とちゃいますか?」
これから先の用意をするあいだの他愛もない会話。
「それではお先です」「相方を待ちます」と別れを交わしてひとり先へと進んだ。
目の前を猿が横切っていった。
空は真冬とは思えぬほど深く澄み、雪が創り出した静寂に鳥の声だけが響く。目の前にはわずかに小動物が跡を残すだけの滑らかな雪面が続き、後ろを振り返るとしっかりとボクのトレースが刻まれていた。
この辺りまで来ると積雪も増え、膝下くらいまで沈み込むようになっていた。膝を越えるラッセルは、体力を消耗させ、顎を伝い落ちるほどの汗をかかせる。喉の渇きを覚えるが、軽量化のため、水は持ってこなかった。冬山はあまり水分を必要としないし、雪を沸かせばいいと考えていたからだった。
しかし思ったよりも気温が高く、また沢筋の路は無風で、体温だけが上がり、汗ばむようになっていた。象印のテルモスの中には熱々のコンソメスープが入ってはいるが、それは喉の渇きを癒すよりも一層酷いことにするだけである。足元の雪を掬い口元へ運ぶが、握っても固まらずに崩れ落ちるだけで、ほとんど水分として摂ることが出来なかった。
水のことしか考えられなくなって来た頃、いつしか路は消え、深くV字に刻まれた谷の斜面を辿るようになっていた。雪の重さに耐えかね根元より折れた杉が行く手を阻み、斜面を滑り落ち溜まった雪は腿までもあった。路を間違えているのではないか?尾根筋へと上る路を見落としたのではないか?何処かにテープはないか?と振り返ったり、辺りを見回したりしながら、不安を抱えて進んでいた。
雪深く急な斜面は、膝でステップを切り、そこにスノーシューをはめ込むようにしながら登らないと、表面を掻き落とすばかりでずり落ちて上ることが出来ない。より一層ペースが落ち、汗をかき、そしてさらに雪を食べた。それでも引き返さなかったのは、赤テープを見付け、路を間違えてはいなかったと安心したからだった。
そろそろ、四合目避難小屋に着いてもええ頃やろ?と考えていた。
避難小屋に着いたら、湯を沸かし、昼飯を喰らって、今後の計画を立て直そうと思っていた。そういえば二本杉は何処に行ったんだろうかなんて思い返していた。
そもそも、このルートには何があって、どんなところを、どんな感じで辿るかすら知らなかったのだ。
薄暗く、雪の吹き溜まった谷筋を抜け、ようやく日差しが射し込み、尾根筋へ出るぞ、って出たら、紛う事なき「二本杉」たる太く大きくそそり立つ二本の杉が眼前に雄々しくそそり立っていた。
それはすなわち、コースタイム45分の路に2時間20分。およそ三倍もの時間を費やしていたってことだった。ここから避難小屋まで同じく45分。河内道分岐まで40分。継子穴20分、四丁横崖20分、避難小屋20分、経塚山15分、霊仙山山頂15分と合計2時間55分。この先稜線を辿るからそれほど雪深くもないだろうから、と二倍の時間を見込んだとしても、山頂に立つときにはとっぷりと日が暮れてしまう。予定ではお虎ヶ池、見晴台、汗拭き峠、榑ヶ畑登山口で日没を迎えれば、あとはペツルのヘッデンひとつあれば養鱒場まで大丈夫だろうって算段だったのだ。
眺望を求め尾根筋へと上がる。そして吹き曝しを避けて荷を降ろした。
シエラクラブのとチタン製のシエラカップに雪を詰めこみ、イワタニプリムスのガスストーブで湯を沸かす。二杯分の湯が沸くのを待つ間、真っ白な雪面に真っ黒な海苔を撒き散らしながらコンビニおにぎりを三個食した。
木々の切れ間から遠く雪を頂く山々を眺める。登り損ねた伊吹山の姿は見るべくもないが、雪を頂く養老山に連なる山並みが眼前に拡がっていた。見上げれば真っ青な空。時刻は正午前。ここで引き返しても良いがそれではちょっと物足りない、と改めて四合目避難小屋を目指した。
風が吹き抜けていく稜線上は、あれほど降り積もっていた雪も飛ばされていて、予想通りに歩きやすかった。このペースで行けば一時間とかからずに避難小屋へ着くのではないだろうか、とのんきに考えさせるに十分なほどだった。
しかしその尾根道は、雪の重さに耐えかねだらりと枝を垂らした木々によって塞がれることになる。流石にその雪を振り払い、枝を掻き分け、膝まで埋もれながらの山行を続けるだけの体力も気力もないぞ、とこれまた良い言い訳が出来たな、などと今来た路を引き返し始めた。すると尾根を下って杉の木立を抜ける方角に赤いテープが揺れているのを見付けてしまう。これは里へと抜けるエスケープルートかもしれないな、と思いながらもそちらへ導かれていったのだった。
吹き溜まった雪に膝まで埋もれてのラッセル。行く手を阻む雪まみれの木立。そして眺望のない薄暗い山道がひたすら続いていた。再び汗ばみ、喉の渇きも憶え、もう引き返したくて仕様がなくなってきた頃合に「二合目」の看板を見付けた。それは、一歩、また一歩と繰り返してきたその歩みは、わずかずつでも確実に山頂へと向かっていたのだと、この路は間違いではなかったのだと、そう励ましてくれているようにも思え、文字通りこれから行く先を示してくれてもいるのだった。
膝まで埋まるラッセルを避け尾根筋を辿りたいのだが、木々に阻まれ吹き溜まる斜面へと下り、遅々として進まぬ歩みと滴り落ちる汗に辛抱たまらんと尾根へと上る。そんな行為を何度か繰り返しようやく訪れた三合目。ようやく、なんて思ったが、時間的には大したことはなかった。思うように進めない精神的な疲労から、えらく時間がかかったような気がしただけであった。
これなら意外と早く「四合目避難小屋」に着くかもしれないな、って思いは、それから同じくらい時間を費やして出会った「三合目」の看板によって打ち砕かれていた。おそらくこちらが真の「三合目」であり、あちらは誰かが勝手に建てていった糠喜びな指標に過ぎないのであった。
「四合目避難小屋」はすっかり雪に埋もれていた。これは使えないかな?と思いながらも吹き上げられた雪がこんもりと積もるコブをシリセードで下りていった。
前へ回ると開け放たれた入り口が、ポッカリと口を開いていた。中を覗くと、吹き込んだ雪の上にはうっすらと小動物の足跡が続いている。下りていって一休みしようかとも思ったが、出るときには、1m以上の雪の壁をよじ上らなければならないのがなんとも億劫に思えて、入り口の前で震えながら休憩を取る。そしてこれからの計画を練った。
思ったよりも早く「四合目避難小屋」へ着いた。だが、もちろん山頂を踏むのは無理な時間。山頂前避難小屋でビバークして翌日って手もあるが、そこまで行きました、すっかり埋もれていました、掘り起こさなければ入れません、ってのは避けたかったワケで、とは云っても今来た路を戻るだけってのも面白くないワケで、この先にあるハズの河内登山道を下りようと決めたワケだった。たとえそれが無理であったとしても、最悪この避難小屋まで戻れば死ぬことはないって判断からの決断であった。
山頂へ向けて明確過ぎるほどに正確なルートが刻まれている。それは尾根筋をたどる登山道に西より吹き付ける風がこんもりと雪を積み重ねてゆき、より一層その道筋をハッキリと浮き上がらせているからだった。
そこから振り返れば山頂を雲に覆われた伊吹山が雄大な勇姿を拡げていた。その姿を見るにつけ、あぁやっぱりこちらに来て正解だったんだ、とあの辛かったラッセルも、焼け付く喉の渇きも、ほとんど誰とも会わない孤独な山行ですら、今となっては良き思い出、なんて終わってもいないのに回想してみたりもしながら雪に覆い被された樹木から吊り下がる氷柱を囓りながらその先へとすすむ。
「あの雪庇まで成長しきれていない雪の塊を汚しながら歩くのは楽しそうだな」なんてついさっきまで帰りたくて仕方がなかったハズなのに、ましてやこの先、山頂までたどり着くことすら出来るハズもないのに、妙にワクワクとした心持ちとなっていた。
そんな童心に還った山行気分に水を差すかのように、行く先には薄墨を流し込んだような薄気味悪い雪雲が筋を引きながら飛んでいくようになっていた。そのあまりの雲の流れの速さに急速に天候が悪化することを怖れ、雪が本降りになる、もしくは山頂が黒々と覆われるくらいまで雪雲が発達したのなら万難を排し、それこそ全力で下山しないといけないな、とせっかく楽しくなりかけてきたボクの思いにまで墨を流し込んでいた。
遠目にはモコモコと超え歩くのがなんとも楽しげに見えたスノーリッジは、いざ近づいてみるとボクの背をはるかに超えた壁となって立塞がっていた。それでもなんとかステップを切ってよじ上ろうとするが、吹き固められたそれは、膝で刻みながら上るというわけにはいかなかった。
なんともあっけなく諦め、南斜面をトラバースして抜ける。しかしそこは膝まで沈み込む吹き溜まりであり、辛抱溜まらんと再び尾根へと上がり、乗り越えられないコブに出会えばまた雪塗れのラッセルを繰り返していった。
そしてようやく訪れた本日に於いて最高峰であろうコブを乗り越え、この先間もなく出会うであろう河内道への分岐を見逃さぬように歩いていった。その遥か先の尾根には、避難小屋らしき影が浮かび上がり、その横には狩るべき予定であった霊仙山の山頂と思わしき箇所が重く立ち込めた雲に覆われながらも姿を現していた。
そうして出会った七合目を示す看板。そこから先の河内道へは、一見さんお断りの文言が書き連ねられていた。
もちろんボクはふりの客なワケで、なじみな方の案内があるのでもないのだけれど、ココまで必死のパッチで来ておきながら、はい、ご苦労さまでした元来た路をお戻り下さい、ってのはあまりに酷い話であって、いまさら後に退けるかいってなもんで、行く手を遮るロープを越えて谷筋へと歩み出したのだった。
膝まで吹き溜まった雪。その重みに耐えきれなかった木々を乗り越えながらも、後は下りるだけって陽気からか足取りは軽やかだった。しかし、幾ら進もうとも目印になるようなテープの道標はなく、それらしい感じに下りては来たものの、このまま調子を扱いて下って良いのだろうかと、白地図にシルバを取り出す。現在地こそ同定出来はしたが、この河内道ってルートは尾根伝いでもなく沢通しでもない、この先に見えるピークをトラバースしながら進む中途半端なルートであることもまた判明したのだった。
途中に社こそあるらしいが、ビバーク出来るかどうかも怪しい。そこを無理繰りに辿って、迷いました、日も暮れました、遭難しました、ってのだけは、ホンマにゴメンだとばかりに今来た路を引き返した。
臆病すぎるくらいに臆病なのが賢者の路。己の自信だけを頼りに前へと進むのは、蛮勇以外の何ものでもない。かといって、ここから引き返すとなると、河内路を下るのと比べ何倍もの距離を歩かなければならないのは確かに億劫でしかなかった。
時刻は午後三時になろうかという頃。日没が五時半頃と考えるに「四合目避難小屋」に三時四十五分着がタイムリミットだろうな、と考えていた。それよりも遅くなって、日も暮れた真っ暗な谷間をヘッデン頼りに歩き、踏み抜いて谷に落ちるなんてのだけは絶対に避けたかった。避難小屋に潜り込み、Foxfireのインナーダウンを着て、ありったけの服を纏い、モンベルのツェルトにくるまっていれば一晩くらい死ぬことはない。食糧も六枚切りの食パンが四枚にベビーチーズが四個、黒霧が弐百mlとまだ温いコンソメスープがテルミスに参百mlほど。アミノ酸が一袋。アメちゃんが五,六コにみそ汁だけは五拾食分もあった。それこそ水はないもののガスは二日分は残っている。これだけ充実していれば一晩だけなら大名気分で過ごせるってもんだった。
アミノ酸を唾液で少しずつ溶かし飲み込んでいく。この味を毛嫌いする人は多いが、僕は意外と好きだ。なにより不味い方が効きそうな気がする。多分にプラシーボ的なところがあるのかもしれないけれど、飲んだ直後から30分くらいは劇的に躰が軽くなる。
先ほどまでボクが付けてきたトレースを文字通り飛ぶように駆けのぼる。風が吹きすさぶ稜線上は早くも跡が消えかけているが、締まっているからもちろん何ら問題ない。よじ登れなかった雪庇もシリセードで下る分には快適だった。
アミノ酸が切れ足取りが重たくなったころ「四合目避難小屋」が姿を現した。時計はちょうど三時四十五分を指してる。予定通りの到着に満足し、休憩もそこそこに先を急いだ。
そういえば、輪かんのふたりはどこまで登ったのだろう?無事下山できる目処が付いた今、そんなことを考える余裕も出てきていた。
あのペースならいいとこ「二本杉」だろうな。それすらも危ういかもしれない。そうは思いながらも、どこかにトレースはないかと気にしながら下る。
偽三合目を越えてほどなく行ったころ登ってくる人影がふたつ目につく。まさかあの二人が?なんて愚かな考えが一瞬過るがもちろんそんなはずもなく、はるかに若いまったく別の二人組であった。
立止る二人に挨拶を投げかける。返事の代わりに、ボクの背後を指さし口をパクパクする。振り返り、避難小屋?と尋ねると、指を四本突き出し左手首を叩いた。一時間、と人差し指を立てて答える。
「あがとござました」たどたどしい日本語。浅黒い顔は雪焼けによるものではなく、東南アジア系に由るものかもしれない。
歩きだした彼らの足にスノーシューを見つけ、スノーシュー!と呼びかける。振り返った彼に指を四本立て、40分!と言い直した。
「あがとござました」と笑顔を返すその口元からこぼれた歯の白さは、やはり南国を思わせたのだった。
四合目までは実際のところ30分足らずで到着できるだろう。あえて多めに言ったのは、人ってもんは教えられた以上掛ると文句を言い、少ない分には気にしない生き物だからだ。だから時間だろうとお金だろうと手間だろうと適当に多めに答えておけばいいと思っている。二度と会うこともないだろうが、知らぬところで恨み言を重ねられるってのも気分がいいもんではない。
結局輪かんのふたりの痕跡を発見したのは「二本杉」どころの話ではなく、谷に入り込む前の林道傍らまでであった。くっきりと残された矩形のへこみは、お座敷的な空間を設えた痕であり、小用を為した黄色い痕が点在し、壺足で踏み荒らされたトレースには深々と穴が開いていた。
何のことはない彼らは雪山登山をしに来たのではなくて、雪原に宴会をしに来ただけだったのだ。酔っ払い再び輪かんを付けるのが面倒だったのだろう。何処まで行っても穴ぼこだらけのトレースは非常に歩き辛く、恩を仇で返された思いだった。
道端にモンベルの50lバックパックを下し、ベビーチーズをアテに芋焼酎を開けたのは、そんなやるせない気持ちからではなく、使う機会のなかったブラックダイヤモンドの10本歯になぜか紛れ込んでいたチタンペグ、いまだ一度として開いたことのないエマージェンシーシートまで含めて14kgを越える重量を少しでも減らしたいと思うくらいクタビレ果てていたからだった。
柏原駅に着いたのは、ちょうど夜の帳が下りたときだった。駅前にポツンポツンと灯りを灯す店を廻り、帰りの電車でくつろぐための酒にアテを調達する。もちろんそれは京都にたどり着くまでの繋ぎであって、へんこつでおでんをサルベージして帰った。
へんこつ
住所:京都府京都市下京区木津屋橋通烏丸西入ル東塩小路町579 あすなろビル1F
電話:075-343-5257
営業時間:17:00~23:00
定休日:日曜祝日
遭遇:猿x1、輪かんなヒトx2、スノーシューのヒトx2
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